まっ暗な嵐の夜だった。
レオン=フランショームは、ドアが開いたのにも気づかずに荷造りをしていた。彼は、翌朝、ある女性と駆け落ちするつもりだった。荷造りは、ほとんど終わりかけていた。
「・・・ああ、レオン・・・」入ってきた女性の衣服はびしょぬれだった。レオンが驚いたのは、かの女の顔が涙でぬれていたからであった。
彼は、思わず立ちあがった。「どうしたの、ジャネット、こんなに遅く?」
入ってきたのは、彼のいとこのジャンヌ=モーリアであった。かの女は、ド=ルージュヴィル公爵家で小間使いをしている女性だった。
「行ってしまったのよ! みんな、行ってしまったのよ!」かの女はそう叫び、床にくずおれた。
「みんな、って?」レオンの心臓がはやく打ち始めていた。悪い予感がした。彼は、その言葉の続きを聞きたくないと思った。
「・・・ごめんなさい、レオン。ほんとうにごめんなさい・・・」かの女は両手で顔を覆って泣き出した。
「何があったんだ?」彼は聞きたくなかった。かの女が何を言い出すか、彼には想像できた。そして、その答えを聞きたくはなかった。
「さっき、ザレスキー伯爵さまが馬車を・・・」ジャンヌは泣きながら言った。「・・・みなさん、ポーランドに帰られたんです・・・」
「この夜中に? この嵐の中を?」
ジャンヌはうなずいた。
レオンは、意を決して訊ねた。「アニェースも?」
「ええ、アニェースお嬢さまもです」ジャンヌが言った。「そして、アレクさまも・・・」
そう言うと、かの女の泣き声はいちだんと高くなった。
「どうしてだ? ぼくの手紙を、ちゃんとアニェースに渡してくれたんだろう?」
かの女は首を横に振った。
「どういうことだ? アニェースは、手紙を読んではいないのか?」
「ごめんなさい・・・手紙は、アレクさまに・・・」
「アレクサンドル=コヴァルスキーに?」レオンは怒鳴り声をあげた。「彼に横取りされたのか? よりにもよって、彼に?」
かの女は口ごもった。「・・・横取りされたんじゃないわ。わたしが、彼に渡したの」
「なぜ?」彼は怒りで震えだした。
「彼を愛していたのよ」かの女はすすり泣いた。「彼は、アニェースお嬢さまのことを何でも知りたがったの。わたし、彼のために・・・」
「・・・スパイまがいのことをした」彼は冷たい口調で言った。「そして、ぼくの手紙まで、彼に・・・。あれは、アニェースあてだった。明日の朝、ぼくと駆け落ちしようと書いたんだ。彼は、それを知って、妨害したんだな。何てことをしてくれたんだ、ジャネット!」
「お嬢さまのためだと信じたのよ!」かの女は泣きながら叫んだ。「それなのに、彼は置き去りにしたのよ!」
彼は、ジャンヌを見つめた。「置き去りにした? 彼について行くつもりだったのか? なぜだ?・・・まさか、ジャネット・・・?」
「そうよ。わたし、アレクさまの子どもを・・・」かの女は小さい声で言った。
「・・・彼は、それを知っているの?」
かの女はうなずいた。「話したわ」
そう言うと、かの女は再び床に手をつき、つぶやいた。「お願い、レオン。私を殺してちょうだい。もう生きていたくない。あなただって、わたしを殺したいくらい憎いはず・・・」
「・・・その必要はない」レオンは歯を食いしばった。「・・・もともと、かなわぬ夢だったのさ・・・身分違いの恋なんてね・・・。かの女は伯爵令嬢で、ぼくはただのヴァイオリニストに過ぎない。かの女は、いずれは、ぼくの前から去っていく女性だったんだよ・・・」
彼は目を閉じた。アニェース・・・アグニェシカ=ザレスカ伯爵令嬢。あの美しい青い目のために、彼の人生は狂わされた。あんな恋は、二度としたくない。
「死ぬんじゃない、ジャネット。絶対に、あんなやつらのために死んではいけない」レオンが言った。
「・・・わたし、彼を許さない。生きて、復讐してやるわ。そして、一生ザレスキー一族を呪ってやる!」かの女がつぶやいた。
窓の外は、嵐だった。しかし、彼らの心の中に吹き荒れる嵐の方が激しかった。
1830年11月末のことであった。
レオン=フランショームは、ドアが開いたのにも気づかずに荷造りをしていた。彼は、翌朝、ある女性と駆け落ちするつもりだった。荷造りは、ほとんど終わりかけていた。
「・・・ああ、レオン・・・」入ってきた女性の衣服はびしょぬれだった。レオンが驚いたのは、かの女の顔が涙でぬれていたからであった。
彼は、思わず立ちあがった。「どうしたの、ジャネット、こんなに遅く?」
入ってきたのは、彼のいとこのジャンヌ=モーリアであった。かの女は、ド=ルージュヴィル公爵家で小間使いをしている女性だった。
「行ってしまったのよ! みんな、行ってしまったのよ!」かの女はそう叫び、床にくずおれた。
「みんな、って?」レオンの心臓がはやく打ち始めていた。悪い予感がした。彼は、その言葉の続きを聞きたくないと思った。
「・・・ごめんなさい、レオン。ほんとうにごめんなさい・・・」かの女は両手で顔を覆って泣き出した。
「何があったんだ?」彼は聞きたくなかった。かの女が何を言い出すか、彼には想像できた。そして、その答えを聞きたくはなかった。
「さっき、ザレスキー伯爵さまが馬車を・・・」ジャンヌは泣きながら言った。「・・・みなさん、ポーランドに帰られたんです・・・」
「この夜中に? この嵐の中を?」
ジャンヌはうなずいた。
レオンは、意を決して訊ねた。「アニェースも?」
「ええ、アニェースお嬢さまもです」ジャンヌが言った。「そして、アレクさまも・・・」
そう言うと、かの女の泣き声はいちだんと高くなった。
「どうしてだ? ぼくの手紙を、ちゃんとアニェースに渡してくれたんだろう?」
かの女は首を横に振った。
「どういうことだ? アニェースは、手紙を読んではいないのか?」
「ごめんなさい・・・手紙は、アレクさまに・・・」
「アレクサンドル=コヴァルスキーに?」レオンは怒鳴り声をあげた。「彼に横取りされたのか? よりにもよって、彼に?」
かの女は口ごもった。「・・・横取りされたんじゃないわ。わたしが、彼に渡したの」
「なぜ?」彼は怒りで震えだした。
「彼を愛していたのよ」かの女はすすり泣いた。「彼は、アニェースお嬢さまのことを何でも知りたがったの。わたし、彼のために・・・」
「・・・スパイまがいのことをした」彼は冷たい口調で言った。「そして、ぼくの手紙まで、彼に・・・。あれは、アニェースあてだった。明日の朝、ぼくと駆け落ちしようと書いたんだ。彼は、それを知って、妨害したんだな。何てことをしてくれたんだ、ジャネット!」
「お嬢さまのためだと信じたのよ!」かの女は泣きながら叫んだ。「それなのに、彼は置き去りにしたのよ!」
彼は、ジャンヌを見つめた。「置き去りにした? 彼について行くつもりだったのか? なぜだ?・・・まさか、ジャネット・・・?」
「そうよ。わたし、アレクさまの子どもを・・・」かの女は小さい声で言った。
「・・・彼は、それを知っているの?」
かの女はうなずいた。「話したわ」
そう言うと、かの女は再び床に手をつき、つぶやいた。「お願い、レオン。私を殺してちょうだい。もう生きていたくない。あなただって、わたしを殺したいくらい憎いはず・・・」
「・・・その必要はない」レオンは歯を食いしばった。「・・・もともと、かなわぬ夢だったのさ・・・身分違いの恋なんてね・・・。かの女は伯爵令嬢で、ぼくはただのヴァイオリニストに過ぎない。かの女は、いずれは、ぼくの前から去っていく女性だったんだよ・・・」
彼は目を閉じた。アニェース・・・アグニェシカ=ザレスカ伯爵令嬢。あの美しい青い目のために、彼の人生は狂わされた。あんな恋は、二度としたくない。
「死ぬんじゃない、ジャネット。絶対に、あんなやつらのために死んではいけない」レオンが言った。
「・・・わたし、彼を許さない。生きて、復讐してやるわ。そして、一生ザレスキー一族を呪ってやる!」かの女がつぶやいた。
窓の外は、嵐だった。しかし、彼らの心の中に吹き荒れる嵐の方が激しかった。
1830年11月末のことであった。
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