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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第55章

第980回

 翌日、シャルロットは松葉杖をついてホールに行った。車椅子では、多くの人に迷惑をかけそうだったからである。
 マリアーン=ブラッソンは、ホールの入り口のところでパンをかじっているところだった。彼はシャルロットに気がつくと、パンを膝の上に置き、声をかけた。
「やあ。今日は、オーケストラの練習かな?」
 シャルロットは立ち止まった。かの女は、彼が自分を覚えていることに気づいた。しかし、この様子では名前を覚えてはいないらしい。ノルベールと一緒にいたオーケストラの団員・・・彼にとってかの女はそういう存在だったということだ。
「いいえ」シャルロットは答えた。「もしそうなら、ヴァイオリンを持ってきているはずでしょう?」
「・・・ああ、今日は、天使はケースを持っていないようだ」彼はにやりとした。「だが、関係者以外は立ち入り禁止だって知っているよね?」
 シャルロットはウィンクした。「関係者になるから、見逃してくれる?」
「どういう関係なのかにもよるね」マリアーンはそう言うと、持っていたパンをもう一口かじった。
 シャルロットはほほえんだ。「今日は、グルノーブル市民オーケストラの全員に用があるのよ。だから、ここを通ってもいい?」
 マリアーンは無言で肩をすくめた。
「あなたも、中に用があるんじゃないの?」シャルロットが訊ねた。
「ぼくは、もう少しここにいる」
「パンを食べるために?」シャルロットは目を丸くして見せた。
「ひとを待っている」彼は簡単に答えた。
 シャルロットは、彼が待っているのはジョイント=コンサートの相手だと気がついた。かの女は、わざと話題を変えた。
「そういえば、昨日、ノルベール=ジラールに聞いたんだけど、あなた、今回はブラームスを演奏しないんですってね」
 マリアーンの表情が急に真面目になった。「その通りです。ぼくにもプライドがありますからね」
「プライド?」
「ええ。ぼくは、モンスターと勝負をするつもりはありません」マリアーンが言った。「ぼくとかの女との間には、ルビー5個分の差があります」
 シャルロットは首をかしげた。「4つでしょう?」
「いや、5個だ」
 シャルロットは首を横に振った。「一つは、かの女の実力とは関係ないわ。単に、出場者の中で最年少だったというだけの賞ですもの」
「なるほど4つですね。でも、もし、ぼくがブラームスを演奏しなかったら、かの女とぼくの差はもっと小さかったろうという意見があります」マリアーンが続けた。「ぼくは、それを証明してみたい」
「あなたは、ブラームスを演奏したからこそ、優勝できたんじゃないですか!」シャルロットは鼻を鳴らした。
 それを聞くと、彼は気分を害したような表情を見せた。「ブラームスなしのぼくでは、かの女と勝負にならないと?」
 シャルロットは真剣な顔をした。「あなたは、どうしてもかの女と勝負がしたいんですね?」
 彼は首をすくめた。「観客は、勝負を見たがっているのでは?」
 シャルロットはがっかりしたような顔をした。そして、小さくため息をついた。「わたしは、あなたの意見が聞きたかったのに・・・」
「あなたに答える義務はありませんよ」
 シャルロットはもう一度ため息をついた。そして、彼に言った。
「それじゃ、またあとで」
「さようなら」マリアーンは反射的に答えた。そして、残りのパンを口に入れた。彼はシャルロットを見送ることもなく、入口に視線を戻した。
 一方、シャルロットがめざしていたのは、オーケストラ団員の控え室だった。かの女は松葉杖をつきながら、中に入っていった。
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