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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第58章

第1038回

 ヴィエジェイスキーは静かにドアを開けた。
 部屋の中は、薄暗かった。ただ、西日が差すあたりだけが明るかった。その光の中に、二人の演奏者がいた。
 ピアノを弾いていたのは、シャルロット=サヴェルネだった。
 そして、堅く目を閉じてヴァイオリンを弾いていたのは・・・。
 ヴィエジェイスキーの足が急に震えだした。彼は、思わず声を出しそうになった。
 そこに立っていたのは、彼の女神だった。金色の長い髪を編み込みにして一つにまとめた少女は、ほおをバラ色に染めて、うっとりとした表情を浮かべて演奏していた。かの女は目を閉じていた。
 なぜ、ナターリアがここに・・・?
 彼は首を横に振った。違う。これは、ブローニャだ。しかし、目の前にいたのは、2年前にポーランドを去ったときのあの幼い女の子ではなかった。今のかの女は、大人の女性に近づきつつある。恋をするというのがどんなものなのか、今のかの女にはわかりかけてきている。
 そして、彼は思った。違う。この子がブローニャなら、今かの女が表現しているのは満たされない恋ではない。
 シャルロットは目を開け、見慣れぬ侵入者を見た。その目が大きく開かれ、『ヴィエジェイスキー教授?』と唇が動いた。
 彼はうなずいた。そして彼の目は、ベッドに横たわっていたフランク氏の方に移った。
 フランク氏は、ドアのところに立っている男女に気がついていた。そして、満面のほほえみを浮かべ、彼らを見つめていた。彼は、うれしそうに手招きした。そして、枕元にやってきたヴィエジェイスキーに言った。
「・・・ブルマイスター」
 その声を聞くと、ヴィエジェイスキーの目に涙があふれてきた。
「幸せそうだね」フランク氏はほほえんだ。「・・・あの方が、マリアさんだね?」
 ヴィエジェイスキーはうなずいた。
「・・・よかった。本当によかった・・・」フランク氏は目を閉じた。「・・・これで、もう、思い残すことは何もない・・・」
 ヴィエジェイスキーは彼の手を取った。
 フランク氏は目を開け、何かつぶやいた。しかし、その声は、枕元のヴィエジェイスキーにも聞き取れなかった。
「ムッシュー=フランク!」突然、シャルロットが演奏を中断して叫んだ。「だめです!」
 全員、びくっとしてフランク氏の方に視線を移した。ただ、シャルロット=サヴェルネのピアノの演奏だけが部屋を満たしていた。
 シャルロットはヴァイオリンを握りしめたまま、ゆっくりとベッドに向かっていた。
 大人たちは、無言でかの女のために道をあけた。
「ムッシュー=フランク?」シャルロットはベッドにたどり着き、彼のそばにひざまずいた。
 フランク氏は、「続けてくれ・・・」とつぶやいた。そして、聞き取れないような声でかの女に何かささやいた。
 シャルロットは立ちあがった。そして、もう一度楽器を構えようとした。しかし、その瞬間、彼の唇が示した言葉を目にし、布団に顔を埋めて泣き出した。
「いやです、ムッシュー=フランク! そんなの、いや!」シャルロットはわっと泣き出した。
 ヴァーク=ブーランジェはかの女の肩をたたいた。「シャル。ムッシュー=フランクのために、最後まで弾いてあげなさい。彼は、そうして欲しいと言ったんじゃないのか?」
 シャルロットは、彼の言葉に耳を貸さなかった。かの女はそうして泣き続けた。
 サヴェルネ夫人も、ついに演奏を止めた。
 ドクトゥール=ルフェーブルは、フランク氏の手を取り、シャルロットの知らない言語で何かささやいた。それから、彼は立ち上がり、全員に言った。
「彼にお別れを言ってあげて下さい。もう、聞こえないでしょうけど・・・」
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