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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第58章

第1039回

 その場にいた人たちは、一人ずつ、フランク氏の枕元に行き、彼の耳元で何か話しかけた。
 最初に話しかけたのは、一番近くにいたヴィエジェイスキーだった。彼は、フランク氏に三分近く何かを話したあと、泣いていたシャルロットに声をかけた。
「ブローニャ」
 シャルロットは、ヴィエジェイスキー教授を見ると、ゆっくりと立ちあがった。
「・・・泣く子は嫌いだ、と言ったはずだ」ヴィエジェイスキーはポーランド語でそう言った。
 シャルロットはちいさくうなずいた。彼に何か言わなければならないと思ったが、唇が震え、声にならなかった。
 サヴェルネはその様子を涙でぼやけた目で見つめていた。
 シャルロットは、左手でヴァイオリンと弓を持ち、右手でしきりにハンカチを探すような身振りをしていた。しかし、その手は震え、目からは次々と涙がこぼれ落ちていた。
 ヴィエジェイスキーは自分のポケットから白いハンカチを取りだし、シャルロットに手渡した。
「きみは、あいかわらず泣き虫なんだね、ブローニャ」ヴィエジェイスキーはフランス語で優しく言った。
 シャルロットは彼を見上げ、涙声でこう言った。「・・・でも、あなたの目にだって・・・」
 ヴィエジェイスキーは目をこすり、「ゴミが入ったのさ」とポーランド語でつぶやいた。そして、横を向いた。
 サヴェルネは、ヴィエジェイスキーを抱きしめた。「ブルマイスター・・・」
 そして、こう言った。「元気だったようだね」
「元気さ、いつでもね」ヴィエジェイスキーは、友人を抱きしめた。まるで、昨日別れた友人にするように。
「そうだ、きみはいつだって元気だった、ブルマイスター」サヴェルネは彼を離すと、シャルロットを抱きしめた。
 シャルロットは、まるで父親にするような親しみを込めて彼に抱きついた。
 ヴィエジェイスキーは、びっくりしてその様子を見つめた。彼が知っているジョゼフ=サヴェルネという人物は、決して人前でそんな感情を見せたりはしない。最愛の妻がそばにいても、人前ではその愛情を見せたりはしない。彼は、自分の本当の心を表現するのは決して得意ではなかった。ヴィエジェイスキーは、ガストン=リュミエールに目をやった。リュミエールも同じことを感じているらしく、二人を驚いて見つめていた。
「悲しんではいけない。彼は、幸せな死に方をしたのだから」サヴェルネがシャルロットに言った。
 シャルロットは彼を見上げるようにしながら言った。「・・・幸せな死に方?」
「そうだよ。人間の一番幸せな死に方は、自分のベッドの中で、愛する人たちの笑顔に囲まれて静かに逝ってしまうことだ」
 そう言うと、サヴェルネはかの女の体を離し、フランク氏のベッドの方に向けた。
「人間というのは、いざとなると弱いものだ。何とかして死の恐怖から逃れようとする。だけど、どんな人間でも、死ぬときは一人きりなんだ」サヴェルネは優しく言った。「しかし、だからこそ、誰かにそばにいて欲しい。誰か一人でも、自分の死を悲しんで欲しい。誰か一人でも、自分のことを忘れないでいて欲しい・・・可能なら、誰かの心の中で生き続けたい・・・。そう考えてしまうんだ。フランク氏は、ひとりぼっちだったから、余計そう思うんじゃないかな」
 シャルロットはしゃくり上げながら抗議した。「彼は、一人じゃない・・・こんなにたくさんの・・・友人がいたわ!」
「そうだね。彼には、こんなにたくさん、彼を愛する人たちがいた・・・」サヴェルネは優しくそう言い、周りを見た。その場の大人たちは、涙ぐんでうなずいた。「彼は、こんなにたくさんの子どもたちに囲まれて、そして、大好きな音楽を聞きながら、天国に行った」
 女性たちは、ハンカチを口に当て、すすり泣いた。
「ブルマイスター、きみが来てくれて、本当にうれしい」サヴェルネが言った。「そして、きみが幸せなのが、もっとうれしい・・・」
 それを聞くと、ヴィエジェイスキーは不思議そうに彼を見た。
「マリアさん」サヴェルネが言った。「あなたが来て下さって、ほんとうにうれしい。ブルマイスター---ヴァレリアンがあなたと巡り会えたことを、彼に代わって神に感謝します。彼を見ていればわかります。彼がどんなに幸せなのかが」
 ヴィエジェイスカ夫人は真っ赤になってうつむいた。
「ムッシュー=フランクは、ブルマイスターを見て、『これでもう、思い残すことはない』とおっしゃった。彼は、すべての子どもが幸せになったのを見届けた。悔いはないはずだ」サヴェルネが言った。
「サヴェルネ・・・」ヴィエジェイスキーは、優しく彼の言葉を遮った。昔から、彼は人前で話をするのが嫌いな人間だ。そして、その彼が饒舌になるのは、自分の心が壊れてしまったときだけだ。「もう、いいよ。もう、いいんだよ・・・」
「シャルロット」サヴェルネは、シャルロットに優しく言った。「彼は、きみを一番大切に思っていた。最後まで、きみに会いたがっていた・・・。わたしは、きみに泣くなとは言わない。泣きなさい。彼は、一番大切な人に、最高のプレゼントをもらうことを喜んでおられるはずだ。きみの悲しみの涙は、彼にとっての宝物だ・・・。彼は今、幸せなんだよ・・・」
 ヴィエジェイスキーは、サヴェルネの横顔を見つめ、彼は変わった、と思った。
 彼を変えたちいさな天使は、フランク氏のまだあたたかい手を取っていた。その手の上に、大粒の涙が何滴もしたたり落ちた。
 ヴィエジェイスキーは、かつての弟子にもう『泣くな』とは言わなかった。彼は、かの女の肩にそっと手を置いた。その手はかすかに震えていた。
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