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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第60章

第1061回

 船に乗って5日目の朝、シャルロットはいつもより早い時間に船のデッキに出た。朝食後のまだ早い時間で、デッキにはまだ誰も来ていなかった。
 シャルロットは、波の方に目を移した。波が穏やかな日だった。きっと、いい天気になるだろう。
 かの女は、波を見つめているうちに、なぜか悲しい気分になってきた。
 戦争が始まってまもなくして、サヴェルネ家にノルベール=ジラールがやってきた。彼の様子は明らかにいつもとは違っていた。彼は、出迎えたサヴェルネ夫人にいつもの冗談を言うこともなく、台所からおいしそうなクッキーのにおいがしていることにも触れず、深刻な顔をして紅茶を一口飲んだあと、唐突にこう言った。
『実は、志願したんです』
 シャルロットの周りから、文字通り一切の音が消えた。かの女は、ノルベールがサヴェルネ夫人に何か話をしている声を全く聞いていなかった。いや、聞こえては来なかった。かの女は、サヴェルネ夫人に肩をたたかれるまで、ぼんやりとしていた。
 サヴェルネ夫人は、ノルベールの言葉を繰り返した。
『どうして、自分から戦争に行こうなんて考えたの?』シャルロットはやっとそう言った。
『・・・どうせ、戦争に行かなくちゃならないんだよ。何日遅らせたって、同じことさ』
 それから、彼はフランス軍が優勢だということを延々と説明していたような気がする。シャルロットは、もう何も言わなかった。シャルロットはただ涙ぐんでいただけだった。
 数日後、サヴェルネ家では、ノルベールの大学の友人たちと一緒に壮行会が行われた。しかし、シャルロットがずっと泣いていたため、湿っぽい雰囲気になり、皆早々と引き上げていったのだった。
 彼が出発した日、シャルロットは見送りには行かなかった。かの女は、論文を書かなくてはならないと言って部屋にこもっていた。しかし、論文は一文字も書けなかった。
 サヴェルネ夫妻は、シャルロットに声をかけた。
『そんな風に泣くくらいなら、見送りに行くべきじゃない?』サヴェルネ夫人がそう言った。
『わたし、彼の前で泣かない自信はないわ。泣かれたら、彼もきっと困るでしょう?』
 サヴェルネ夫人は優しく言った。『あなたが泣き虫なのは、彼もよく知っているわ。あなたがもし泣かなかったら、逆に彼は驚いたんじゃないかしらね。泣きたいときには泣いていいのよ。たとえ、あなたに目の前で泣かれたとしても、彼は、あなたに会ってから出発したいんじゃないかしらね・・・』
 サヴェルネはこう言った。『もしもだよ。もし、これが彼との最後の別れだったら、どうだ?』
 シャルロットの手が止まった。『ありえないわ。彼は、無事で帰ってくるわ』
『もしも、だよ』サヴェルネの口調は優しかった。『もしそうだったら、きみは、一生後悔することになるよ。あのとき、彼に会っておけばよかった、って・・・』
 シャルロットは、あの日のようにすすり泣いた。
 そうだ、彼に会うべきだった。会って、『戦争なんて、大っきらい! 戦場に行くあなたなんて、もっと嫌いよ!』っていってやればよかった。
 そう言われても、彼はきっとほほえんで手を振っただろう・・・。
 いや、悲しそうに手を振っただろうか?
 シャルロットは、結局、見送りには行かなかった。しかし、あれから、彼は一度だけ手紙をよこした。訓練が終わり、戦場に行くことになったことを知らせる手紙だった。かの女は、手紙の文言より、便箋に押された《検閲済み》という印の方が目に焼き付いていた。かの女は、その手紙に対して、返事さえ書かなかった。あれから、彼はどうなっただろう? 戦争は、短期決戦の予想に反し、長期化する様相を見せてきていた。このままいけば、コルネリウスたちも志願するかもしれない。
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