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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第65章

第1158回

 それは、まさに人生を変える出会いだった。リチャードは弁護士事務所に就職が決まった時点でリディアと結婚した。リチャードは《35歳くらいで結婚し》以外、計画通りの人生を歩んだ。二人の間にはリチャード=フレデリックという男の子が誕生し、まさに幸せのただ中にいるように思えた。ところが、リディアが二人目の子どもを流産したとき、彼らの人生の歯車が微妙にずれ始めた。そのころから、リディアの体調がすぐれなくなった。かの女は何人もの医者に診てもらったが、体調不良の原因がわからなかった。やがて、かの女は車椅子の生活になり、入退院を繰り返すようになった。医者は、原因不明の難病だと言った。その病気にかかると、体がどんどん動かなくなっていくのだという。そして、治療法が確立されていないのだと言われた。リチャードは、諦めずにリディアをあちこちの病院に連れて行った。腕のいい医者がいると聞くと、どんなに遠くの医者にでも診せようとした。こうして、あの日がやってきた・・・。
 1910年4月、リチャードは、妻と息子を車に乗せ、病院に向かった。その途中、彼らの車は事故に巻き込まれた。助手席にのっていたリチャード=フレデリックは即死だった。リチャードは病院に運び込まれ、そこで息を引き取った。リディアは大けがをしたが、命は取り留めた。かの女は、その事故のあと、自分の不幸を嘆き、家から一歩も出なくなった。身の回りの世話をする人間を雇い、ひっそりと暮らしていた。その間にも病気は進行していて、寝たきりになる日は近いと宣告されていた。
 シャルロットが訪ねていった日の朝、リディアはポーランドからの手紙を受け取った。妹の死を知ったかの女は、朝から不機嫌だった。そして、ずっと身の回りの世話を続けていたメアリーと喧嘩し、追い出してしまったのである。もう5年も親身になって世話をしていた女性が、あんなにあっさりと家を出てしまったことを、かの女はまだ信じられない思いでいた。だから、シャルロットがノックしたとき、メアリーが戻ってきてくれたと思ったのだとかの女は言った。
 話が終わると、シャルロットはカーテンを開けた。朝になっていた。
「・・・朝食の準備をしましょうか?」シャルロットが訊ねた。
「どうやら、かの女は戻らないつもりのようね」リディアは渋々認めた。「あとで、家政婦紹介所に電話をしなければならないようだわ。でも、困ったわ。新しい人が来るまで、わたしはどうしたらいいのかしら?」
「わたしではどうですか?」
「かまわないけど、あなたに、わたしの世話ができるの?」リディアは半信半疑で訊ねた。
「もちろん、上手にはできませんが、2~3日ならわたしでも我慢できるんじゃないかしら・・・」シャルロットは答えた。
 リディアは、かの女のほほえみを見ているうちに、なぜか気が軽くなるのを感じた。
「2~3日くらいなら・・・ね」リディアの唇がほんの少しゆるんだ。「じゃ、まず、朝ごはんをつくってちょうだい」
 シャルロットはうなずき、台所に消えた。
 シャルロットは、研究所で病人を見慣れている。病人の看護をしたことはないが、やり方は知っていた。朝食後、シャルロットはかの女に仮眠をとらせることにした。起きたあとは体を拭き、着替えをさせた。リディアは、まるでちいさな子どものように、シャルロットに身の回りの世話をさせた。そして、メアリーよりも手際がいいことに驚いた。
 リディアは電話をかけ終えたあと、シャルロットに昨日の手紙を渡した。
「全部読んでいないわよね?」リディアはそう言った。
 シャルロットはうなずき、手紙を開いた。
 そこに書かれていたのは、シャルロットが去ったあとの<チャルトルィスキー家>の様子だった。シャルロットも知っているように、先代のチャルトルィスキー公爵が亡くなった後、チャルトルィスキー家は混乱した。公爵は遺言状を残したが、彼の甥はその遺言状に異議を申し立てた。というのは、その遺言状に従えば、公爵の遺産の大部分は、彼とは血のつながりがない他人(シャルロット=ド=サン=メランを意味する)に渡ることになっていたからである。ところが、公爵の甥のポニァトフスキーは、新しい主として公爵家に乗り込んでみたものの、公爵家の使用人たちの過剰な亡き主人への忠誠心を目の当たりにし、とうとう彼らの信頼を手にすることをあきらめた。ポニァトフスキーは、弁護士のほか公爵家使用人代表と何度も相談し、シャルロット(および公爵家の使用人たち)と和解する道を探した。ポニァトフスキーは、遺言状で彼の分と決められた分を放棄することを提案し、その代わりとして、二人にチャルトルィスキーの名を捨てさせた。シャルロットとナターリアは<チャルトルィスキー>の名を捨てることで、亡き公爵の遺産を相続することが決まったのである。こうして、彼の死後占領されていた家は、元通り開放され、かつての使用人たちはそこに戻った。チャルトルィスキー家---現在は、スクロヴァチェフスキー家---は、執事のユゼフ=ユリアンスキーを中心に団結していた。ところが、執事のユリアンスキーは、前年末に病死した。あとを継いだのは、彼の息子のエドゥワルドだった。エドゥワルド=ユリアンスキーを中心人物にすることは、使用人が全員一致で決めたことだった。エドゥワルドが18歳だったことは、彼らには何の意味も持たなかった。父親が病気で倒れたあと、彼が事実上のリーダーだったからである。
 シャルロットは、エドゥワルドのために涙を流した。彼は、医者になりたかったはずなのに、ナターリアのために---そして、帰るどうかわからない自分のために---夢を犠牲にしたのだ。シャルロットは、アファナーシイ=ザレスキーに手紙を託そうと思った。せめて、エドゥワルドにだけは夢を追って欲しかった。
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