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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第67章

第1209回

 そう言ったときのヴィンツェンティの表情は、どこかうらやましげだった。
「ウラディは、これまで、一度も誰かに興味を持ったことはない。彼には、恋人どころか同性の友人さえいない。音楽家としては大成しても、孤独な人生を歩んでいくのかと思っていた。世の中には、そういう孤独な芸術家はたくさんいる。恋をするにはエネルギーが必要だし、家庭を営むにもエネルギーがいる。しかし、孤独な芸術家は、人生の何事においてもエネルギーを消費する必要がない。別の言い方をすれば、孤独だということそのものがあたらしい芸術を生み出すエネルギーになる。そんな芸術家は多い」ヴィンツェンティが言った。「しかも、芸術家には、結婚に失敗する人も多い。はじめから独身を貫いた人も多くいる。だから、彼は結婚しないまま生涯を終えるだろうと考えていた。いや、結婚すべきではない人間がいるとしたら、彼のような人間だ。彼は、誰かを幸せにはできない男だ。だが、彼はあのウラディーミル=スクロヴァチェフスキーの孫だ」
 シャルロットは黙っていた。
「父母は音楽を通して知り合った。そして、熱烈な恋愛の末に結ばれた。なんといっても、母の名前はリベルテ(自由)だ。二人とも、さぞかし情熱的だったに違いない。彼らの子どもたちで、彼らのような伝説的な大恋愛をした人は誰もいなかったが、もし、彼らの子どもたちが全員生き残っていたら、どんなことになっていたことやら。聞いたことがあるかと思うが、わたしたちは12人きょうだいだった。生き残ったのは、3人だけだったがね」そう言って、彼は含み笑いをした。「もし、彼が結婚するとしたら、祖父を超えるような大恋愛をするに違いない。そうなった場合は、彼はわたしの父のように、家庭を大事にする人間に変身するだろう。今の彼は、愛というエネルギーの使い方を知らないだけなのかもしれない」
 シャルロットは肩をすくめた。「・・・だとしても、彼の恋愛の対象は、わたしではありえません」
「残念だ。実に残念なことだ」彼はもう一度ため息をついた。
 シャルロットはしばらくの間考え込んでいた。そして、こう言った。「コンクールというのは、かなりの集中力を要するものです。わたしは一度失敗していますし、ウラディも失敗を経験しています。今度だけは、何があっても彼に自信を取り戻させなければならないんです。彼には、最高の状態で演奏させてあげたいんです。コンクールで失敗した経験者として、わたしは、今、彼に本当のことを言うことはできません。わたしは、あした、彼の最後の演奏が終わったら、ここを去ります。・・・いいえ、そうじゃない」
 ヴィンツェンティは首を傾けた。
「あしたの朝、わたしは普段と同じようにウラディと一緒に出かけます。ですが、わたしは彼には何も言わずに、彼に気づかれないようにその場から去ります。あなたに置き手紙を残します。彼に渡してください。彼には、直接さようならは言いません」
「・・・それもよかろう」彼はつぶやくように言った。
 シャルロットは、その場でペンを取り、手紙をしたためた。そして、それを彼に手渡した。
「あなたとこんな別れ方をするなんて・・・」シャルロットの目から涙がこぼれ落ちた。「こんなにお世話になったのに、あなたに何もできなかった。かえって、あなたを苦しめるだけだった・・・」
 ヴィンツェンティのブルーの目も潤んだ。「きみがいてくれてよかった。わたしのためにも、わたしの息子たちのためにも・・・それに、他のみんなのためにも・・・」
 彼はポケットからハンカチを出しながら言った。「ありがとう。きみのおかげで、幸せだった」
 シャルロットは彼の手を取った。
「今ならわかる。リディがほほえみながら逝った理由が」彼はハンカチで目をふいた。「かの女がどんなに幸せな晩年を送れたかが」
 そして、彼はほほえんだ。「きみは、笑うと、とても美しい」
 シャルロットは目を丸くした。「まあ、わたしが美しいなんて、とんでもないわ」
《ああ、このひとは、自分が美しいと自覚していないんだ》ヴィンツェンティはそう思った。《だから、こんなに無邪気にほほえむことができるんだ・・・》
 ヴィンツェンティは娘にするようにかの女を抱きしめた。「幸せになるんだよ、マイ=エンジェル」
 翌朝、シャルロットとヴィンツェンティはいつものように教会の前で別れた。かの女はいつものようにその足で屋敷に戻った。そして、ウラディーミルと一緒にコンクールの会場に向かった。しかし、かの女はホールの前で彼と別れると、ホールの中には入らずに屋敷に戻った。かの女は、屋敷の全員と別れを済ませ、コンクールの結果を聞かずにニューヨーク行きの汽車に乗った。
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