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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第70章

第1263回

 ウラディーミルの歩行練習が始まると、シャルロットは精神的に安定できるようになった。日中のほとんどの時間を彼と過ごしていたシャルロットは、ほんの少しの間だけでも一人になれることにほっとしていた。かの女はたとえ雪の中でも一人で散歩した。これほどの開放感を感じるとは自分でも思わなかったくらいだ。
 その日、シャルロットはサント=ヴェロニック校に向かって歩いていた。途中で雪が降ってきたが、かの女はそのまま歩き続けた。
 そのころ、病院の中は騒然としていた。
 ウラディーミルとベアトリスは、歩行練習中だった。より正確に言えば、立ちあがる練習をしていた。そのとき、イーリス=ド=メディシスが顔を出した。かの女は、ベアトリスに訊ねた。
「ねえ、シャルロットを見なかった?」
「散歩をしているんじゃないかしら」ベアトリスは答えた。「休憩室にはいなかったんでしょう?」
「ええ」イーリスはそう答え、「何分くらいしたら戻ってくるかしら?」と訊ねた。
「たぶん、あと30分くらいかしら」ベアトリスが言った。「何かあったの?」
「321号室の明かりが・・・」イーリスが口ごもった。「・・・それじゃ、急いでいるから、あとでね」
 イーリスが出て行ったドアを、ベアトリスは硬い表情で見送った。
「・・・明かりがどうかしたの?」ウラディーミルがフランス語で訊ねた。
 ベアトリスの目は悲しそうだった。
「ぼくに、何かできることはない?」
 その優しい口調を聞くと、ベアトリスの涙腺がゆるんだ。
「泣かないで」ウラディーミルは困惑したように英語でささやき、かの女の手を握りしめた。「本当に、何かできることはない?」
 ベアトリスは無理にほほえんだ。「ありがとう。でも、あなたには---わたしたちにできることは何もないわ。今必要なのは、神さまだけよ」
 ウラディーミルは怪訝そうにベアトリスを見た。そして、握った手をはなした。
「イーリスの担当の患者さんが死にかけているの」ベアトリスが言った。「たぶん、シャルロットに会いたがっているんだわ」
「その患者さんって、ドニ=フェリーという人?」
 ベアトリスはうなずいた。
「連れて行って」ウラディーミルが言った。
 ベアトリスは『行ってどうするの?』というまなざしを彼に向けたが、口から出た言葉は「いいわ」だった。そして、かの女は彼が車椅子に戻るのを手伝った。
「・・・ありがとう、ベアトリスさん」ウラディーミルはほほえんで礼を言った。
 ベアトリスは気づいていた。彼が自分をファーストネームで呼んだのはこれが初めてだということに。
 そして、かの女は非常用の通路を通って3階に行った。彼を車椅子ごと連れて行くためには、その通路を使うしかなかったからだ。
 二人が部屋に駆けつけたとき、部屋には患者たちしかいなかった。一人は苦しそうに呼吸をしていた。もう一人は、天井から足を吊り、体はベッドに固定されていた。ウラディーミルの視線は、ベッドに釘付けにされていた男性の方に向けられた。自分と同じブルーの目がじっとこちらを見ている。短く刈り上げられた髪型からして、彼は軍人に違いない。シャルロットはヴィトールドにはウラディーミルのことを話したが、ウラディーミルにヴィトールドのことを話したことは一度もなかった。それでも、ウラディーミルには目の前のハンサムな青年がザレスキー一族であることがわかっていた。
「ウラディーミル=ストックマン=スクロヴァチェフスキーです」ウラディーミルは男性に向かって自己紹介をしかけた。
「・・・しっ! 眠っています」ヴィトールドは声を潜めてささやいた。
 ベアトリスはすぐに理解した。そして、小さな声で言った。「わたしの患者さんは、彼に会いに来ました」
 ヴィトールドはうなずき、ウラディーミルにほほえみかけた。「ヴィトールド=ザレスキーです」
 その名を聞くと、ウラディーミルは目を丸くした。「あなたが・・・?」
 ザレスキー一族に生まれてきて、彼の名を知らない人は誰もいない。「あなたは、ポーランドにいるんじゃなかったんですか?」
「そういうあなたは、どうしてアメリカにいないんですか?」ヴィトールドはやんわりと反撃した。
 ウラディーミルは小さな声で言った。「あなたに会ったら、お願いしたいと思っていました・・・」
 そのとき、彼らの後ろで声がした。
「ベアティ、なぜ彼を連れてきた?」
 ベアトリスは静かに答えた。「わたしの患者さんは、ドニ=フェリーに会いに来ました、ドクトゥール=アンドレ」
 アレクサンドル=シャルパンティエは不機嫌そうに言った。「わたしが呼びに行かせたのは、シャルロットとコルネリウスだ。おまえ---あなたたちじゃない」
「わかっています」ベアトリスは短く答えた。
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