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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第70章

第1268回

「泣かないで、プティタンジュ。きみは、本当に泣き虫なんだね、いつまでたっても・・・。だが、きみには、ほほえみが似合う・・・。ぼくのことを考えて泣くくらいなら、ぼくのことなんか考えないでくれ。今後、ぼくを思い出して涙を流して悲しむくらいなら、いっそぼくのことを忘れてくれ。きみの心の中からすっかり追い出してくれて構わない。それできみが幸せになれるのなら・・・きみがほほえみを取り戻してくれるのなら、ぼくはそれでいい」
 ウラディーミルには、ゆっくりと話されているその言葉の意味が完全にわかっていた。この人は死にかけているのに、こうやって幼なじみのことを気遣っている。彼は、自分がコルネリウスになったような気がしていた。そして、幼なじみの言葉を真摯な気持ちで聞いた。まるで自分自身の幼なじみの言葉のように・・・。
「ドンニィ」ドニは急にウラディーミルの方に視線を向けた。「きみにかの女を任せる。きみならば、きっとかの女を幸せにしてくれると確信しているからだ。どうか、かの女をぼくの分まで幸せにすると、この場で誓って欲しい」
 ウラディーミルは、シャルロットとの約束を忘れた。今の彼は、コルネリウス=ド=ヴェルクルーズだった。
「ドニ=フェリーの名において、誓います。ぼくは、シャルロット=ド=サン=メランを、きっと、幸せにします。きみの分も、いや、それ以上に・・・」ウラディーミルは、単語を一つずつ区切って、できるだけ正確なフランス語の発音に聞こえるように気をつけながら言った。
 ドニはうれしそうにほほえんだ。彼は、ウラディーミルのたどたどしい言葉を不審に思う余裕はもうなくなっていた。「ありがとう、ドンニィ。ぼくは・・・」
 しかし、その言葉の後半は、彼の唇に耳をつけるほど近くにいたウラディーミルにも聞き取れなかった。ウラディーミルは顔をはなし、彼の唇から言葉を読みとろうとした。
 シャルロットも同様にしていた。ドニは、言葉を話していると言うよりは、苦しそうに息をしているように見えた。唇を読むのは、シャルロットの方が得意だったが、最後にはその唇の動きもあいまいさを増していた。だが、シャルロットにはこう読みとれた。
『・・・ぼくは、きみを信じる。かの女を頼んだよ。・・・さあ、シュリー、きみも手を取ってくれ』と。
 シャルロットは、ベッドの反対側にまわり、ドニの手を取った。
『ありがとう。ぼくは、きみたちが幸せになるように祈り続ける、神さまに・・・』彼の唇はそう動いた。
「・・・神さま・・・」最後のその単語だけが音声になった。ウラディーミルとヴィトールドにはその言葉だけが聞き取れた。そして、それが彼の最後の言葉となった。彼の唇は、もう永遠に動かなかった。それでも、シャルロットは待った。彼の次の言葉を。彼がもう一度唇を動かすのを。かの女は彼の唇を見つめ続けた。
 ウラディーミルは彼のために英語で死者のための祈りをつぶやき、車椅子でその場を離れた。
 ウラディーミルの動きに呼応したように、ヴィトールドはすすり泣いた。その悲しそうな音声を耳にして、シャルロットは初めて彼の死を認めた。かの女は、彼の手を握りしめたまま、声を殺して泣き始めた。
 ウラディーミルがドアを開けたので、イーリスとベアトリスが部屋に駆け込んだ。それから、ゆっくりと医者が部屋に入った。そのときには、イーリスとベアトリスはひざまずいて短い祈りを終えていた。
「ベアトリスさん」ヴィトールドは自分の担当看護師に声をかけた。「外は、まだ降っているのですか?」
 ベアトリスは窓を開け、自分のマフラーを首からはずし、それに雪をのせて彼のところに持っていった。
 ヴィトールドは窓の方に首だけを向けた。「・・・明るいんだね・・・」
 そして、そっと涙をぬぐった。真っ赤なマフラーにのっている大粒の雪は、まもなく水滴に変わった。ベアトリスはもう一度窓の方に歩き出した。そして、かの女はつぶやいた。
「・・・こうしてみると、塵が舞っているみたい」
 シャルロットはびくっとして顔を上げた。「・・・そうだわ、この前、彼が言っていた。ぼくは土からとられたから、土にかえるのは恐くない、って・・・」
「《あなたは土にかえるだろう。あなたは土からとられたのだから。あなたは塵だから、塵にかえるのです》」ヴィトールドは、ドニが引用した聖書の言葉を繰り返した。
 シャルロットは立ち上がり、ベアトリスの隣に立った。
「シャルロット、ご覧なさい。人間なんて、ちっぽけなものに過ぎないわ。この雪のように、いつかはなくなってしまうのよ。でも、人間ははかないからこそ美しいんじゃないかしら?」
「・・・白いバラ(ラ=ローズ=ブランシュ)・・・」シャルロットはつぶやいた。目の前には、女子寮が見えた。あの大きな木は、雪に覆われて真っ白になっていた。まるで、大きなクリスマス=ツリーのようだった。しかし、かの女は、バラの花びらが風に舞うさまを見ていた。研究所の庭にあった、唯一の白いバラ。その前で遊ぶ二人の男の子。一人は赤毛のひょろっとした男の子。もう一人は真っ黒の髪のかわいい男の子。そして、それをほほえんで見つめているブロンドの髪のちいさな女の子・・・。
 幼いコルネリウスの声が聞こえる。
『ドニ=セバスティアン=フェリー、汝はユーフラジー=シャルロット=ステファニー=ド=ラ=ブリュショルリーを花嫁とすることを望むか?』
『はい、望みます』ドニははっきりと返事した。
『ユーフラジー=シャルロット=ステファニー=ド=ラ=ブリュショルリー、汝は、ドニ=セバスティアン=フェリーを花婿とすることを望むか?』
「・・・いいえ・・・」シャルロットは、あの日と同じように大きく首を横に振った・・・。
 あの日々は、二度と戻らない。
 シャルロットはその場にくずおれ、すすり泣いた。
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