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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第71章

第1277回

 ベアトリスははっとした。彼がほほえむのは、これまで何度か見たことがある。すべてシャルロットに向けたものだった。ほほえむと、彼はとてもハンサムに見えたものだった。その彼が、かの女に向かってあのほほえみを見せてくれた。ベアトリスは有頂天になった。かの女も知らず知らずのうちにほほえんでいた。
「あなたって、ほほえむとすてきですね、ベアトリスさん」ウラディーミルはそう言った。
 ベアトリスは真っ赤になった。
「あなたに愛されている人が誰であれ、彼は幸せな人だ」彼はそう続けた。「彼は、それを知っているの?」
「いいえ」ベアトリスは答えた。
 彼は車椅子の肘あてに手をつき、立ちあがった。「ほら、立ったよ。だから、もっと話して、恋人のこと」
 ベアトリスは困ったような顔をした。
「歩いたら、もっと話してくれるよね?」
 ベアトリスは彼に肩をかした。彼は、右手で手すりをつかみ、左手をベアトリスの肩にからみつけた。
「ねえ、あなたの恋人って、どんな人なの?」彼は一歩前に踏み出した。一歩だけ。
「ご想像にお任せします」ベアトリスは答えた。
 ウラディーミルは二歩目を踏み出した。
「彼は、わたしの受け持ちの患者の一人なの」ベアトリスがそう言った。
 ウラディーミルはさらにもう一歩前に出た。
「わたしは、彼に愛していると言ったことはないし、彼もわたしが愛しているとは知らないの」
 彼は次の一歩を踏み出さなかった。彼は驚いたようにかの女を見つめていた。
「・・・わたしは、それでもかまわないの」
「なぜそれでもかまわないの?」
「毎日会えるんですもの」ベアトリスはつつましく答えた。
 ウラディーミルはさらに一歩前進した。「愛されたいとは思わないの?」
「あら、愛されたいと思わない人なんているのかしら?」ベアトリスはうっとりとした表情で答えた。「でも、女の子は、いつも待っているだけ。いつか彼が愛していると言ってくれる日が来るだろうって思いながらね」
 彼は一歩前に出た。「その日は、きっとやってくるよ」
 ベアトリスは彼が耳元でささやいたその声を聞くと、体の力が抜けそうになった。
「ベアトリスさん?」『・・・大丈夫?』と彼が聞くまえに、かの女はバランスを取り戻した。
「・・・そう思いたいわね」ベアトリスは小さな声で言った。
 彼はベアトリスに遠慮したように一歩踏み出した。
「間違いありませんよ」彼の声はその歩みとは全く正反対の力強さを持っていた。「ぼくにはわかります」
『本当かしら?』ベアトリスの顔にはそう書かれていた。そんなことは、信じられなかった。なぜならば、彼はほかの女性に夢中だからだ。
「あなたの魅力に気づかないなんて、その男はバカなやつだ」ウラディーミルは言った。そして、その言葉を強調した。「本当にバカだ」
 ベアトリスは彼を見つめた。その馬鹿者は、今、かの女の目の前に立っている。
「彼の目は、ほかの女性に釘付けなのよ」ベアトリスが言った。
「そいつは、どうかしている」ウラディーミルは断定したように言った。
「でも、人間は、ただ一人の人間と結ばれるのよ」ベアトリスは小さくため息をついた。「彼にとって、かの女は運命の女性なんだわ」
「運命・・・」ウラディーミルは考え込んだ。「人生の中で、ただ一人の女性だけを愛することは不可能なのだろうか?」
「そうね。だからこそ、死ぬまで一人の人と結婚の絆で結ばれるんじゃないかしら」
 ウラディーミルはその皮肉ににやりとした。「結婚とは、生涯にわたるくびきのようなものだ、と?」
「そうよ。だからこそ、人は指輪をかわすんじゃないかしら」ベアトリスは真剣だった。「首輪のかわりにね」
 ウラディーミルはふきだした。彼は一歩踏みだし、真面目な顔をした。
「・・・首輪といえば、シャルロットはネックレスをしていたようだが?」ウラディーミルが言った。
「知っているわ。コルネリウスからの婚約指輪のことね」
 しかし、ウラディーミルはそれを知らなかった。そうだったのか。あのリングは、ただの飾りではなかったのか! でも、まさか、婚約指輪だったなんて!
 ウラディーミルはそれっきり、もう、口を開かなかった。彼は部屋に戻ると、ドアに背を向けて横たわった。
 ベアトリスは、彼が急に不機嫌になった理由を知らなかった。かの女は戸惑いがちに彼を見たあと、廊下に置きっぱなしだった車椅子を部屋に運び、去っていった。
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