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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第74章

第1349回

 イーリスは彼の目をまっすぐに捕らえ、首をかしげた。「あなたは、わたしに、あなたかバラかどちらかを選べといっているのね?」
「そうだ」
「あなたは、本気でバラに嫉妬しているわけじゃないわよね?」
「半分はそうだが・・・」サンディはそう言うと、真面目な顔をした。「シャルパンティエ夫人は、バラの世話ではなく、病人の世話をすべきだというのが、その理由だ」
 イーリスは彼の手から自分の手を引っ込めた。そして、大きく息を吸い込んでからこう言った。
「あなたは、わたしが誰か知らないのね」イーリスが言った。「わたしは、イーリス=ド=メディシス。この家の最後の生き残りなのよ。わたしがここを去り、バラの世話をしなかったら、いったい誰がここを管理するというの?」
「管理なら、優秀な庭師を雇えばいいことじゃないか」サンディは言い返した。
「ド=メディシス家の代々の当主たちは、自分でバラの手入れをしてきたわ。だからこそ、ミュラーユリュードの町には<バラ祭り>という行事が生き続けているんじゃないの。もちろん、わたしは、ここの家の人たちと直接血のつながりはないわ。わたしは、最後の当主の義理の娘としてこの家の養女に迎えられた。そして、その直後、この家の最後の生き残りが・・・あそこで、亡くなった」イーリスは、後ろの白バラの茂みを指さした。「わたしは、この家の責任をすべて背負ったの。亡くなった養父は、わたしにバラの知識を詰め込んだわ。バラの歴史から、手入れの仕方まで、彼が知っていることを、時間が許す限り・・・。わたしの教育を完成させられなかったことは、彼にとってさぞ心残りだったでしょうね。でも、わたしは、さらに勉強を続けたわ。今では、少なくてもミュラーユリュードで5本の指に入るだけの庭師だという自負があるわ」
 そして、ウィンクした。「たぶん、シャルパンティエ家のダンドレさんも、それを認めてくださるはずだわ」
 シャルパンティエ家に勤めている庭師の老ユーグ=ダンドレは、もともとラ=メーゾン=ブランシュで修行した人間である。彼は、若きアレクサンドル=ド=メディシスにバラのことを教えた人間でもある。しかし、年老いた今では、シャルパンティエ家のささやかな庭の草むしりでさえ大変そうに見える、とサンディは思っていたものだ。現在のダンドレは、草むしりするのにも手より口の方が良く動く、とシャルパンティエ夫人さえが嘆くくらいの庭師であった。
 しかし、サンディにはそのジョークが通じなかったようだ。彼はそっぽを向いたまま話を聞いていた。そのジョークを聞いても、眉一つ動かさなかった。
 イーリスは真面目な顔をした。「パトリックが亡くなったとき、わたしは、ここの庭を管理していくことを彼に誓ったのよ。わたしは、ここで生きていく。ここで生きなければならないのだと。でも、それから1ヶ月後、わたしの人生は、たった一枚のハンカチのために変わった・・・」
 イーリスの声の調子は、急に優しくなった。「わたしは、怪我をして足から血を流していた青年に、自分のハンカチを差し出した。あのとき、わたしは、そのハンカチを失ったことが人生を変えるほどのできごとだとは思わなかった。しばらくして、あのときの青年は、きれいに洗ったそのハンカチと、真っ赤なバラを持ってベルジュール門の前に立った。そのときから、わたしは、あの青年を愛していた・・・」
 かの女は上を向き、何度かまばたきをした。「わたしは、あのときの青年のために、サント=ヴェロニック校の編入試験を受けず、公立の学校を出た。そして、あの青年のために、看護学校を受験した・・・。いずれは医者になろうとしているあの青年のそばにいるには、それが一番だと思ったから・・・。でも、わたしは間違っていた」
 イーリスはそう言うと、もう一度サンディの方を向いた。サンディもかの女の方に視線を戻していた。二人の視線は激しくぶつかった。
「わたしは、あなたがわたしを愛してくれていると思っていた。少なくても、わたしがあなたを愛する程度には・・・」イーリスが言った。「でも、今、はっきりわかった。あなたはわたしを愛していなかった。あなたが愛していたのは、イーリス=ド=メディシスの幻だったのよ」
 彼は口を開きかけた。
「全部言わせて。あなたが欲しがっていた妻は、医者の妻にふさわしい女性。シャルパンティエ家の一員として、看護師として、いつも医者のそばにいる女性。わたしは、あなたのために看護師になった。少しでもあなたを助けたかった。だけど、それは本当のわたしではない」イーリスは悲しそうにそう言った。「本当のわたしは、半分はあなたのもので、残りの半分はこの庭のバラのものなのよ。それが受け入れられないとすれば、道は一つしかないわ。婚約は解消しましょう」
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