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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第74章

第1350回

 サンディはかの女の口からその言葉が出てきても、動揺した素振りは見せなかった。ただ、「本気か?」と聞いただけだった。
 イーリスは、その問いにうなずいた。「ええ、本気よ。わたしには、義務があるの。わたしは、シャルパンティエ夫人として病院に勤務し、休みの日にはここでバラの手入れをするという人生を考えていたの。わたしたちが結婚するとしたら、それ以外の形態は考えられなかったから・・・。できれば、あなたに、ここに住んでもらいたかった。でも、あなたには、そんなつもりがなかったのよね・・・。でも、今、知っておいて良かった。今なら、まだ、やり直しがきくわ。わたしたちは、別々の道を歩みましょう、サンディ」
 サンディは真剣に話を聞いていたが、かの女の目をじっと見て、決心が固いことを知った。
「・・・わかった。そうしよう。ぼくは、サンディ=シャルパンティエと一緒にいれば、ほかのことは一切関係ないという女の子を捜して、口説いてみることにする」
「どうぞ」イーリスは彼に背を向けた。「あなたは、どんな女の子でも、意のままですものね」
 そう言うと、かの女は門を背にして歩き出した。その場から去りたかった。彼に泣いていることを知られたくなかった。
 サンディは、しばらくあっけにとられたようにその後ろ姿を眺めていた。かの女は、毅然とした態度で立ち去ろうとしていた。彼はかの女が泣いていることに気づかなかった。それくらい、かの女は堂々としていた。
 彼は、突然、悟った。かの女が、自分ではなくバラを選ぶと言ったのは本気だということを。今の会話が、永遠の別れを告げたものだということを。かの女はあえて<さようなら>と言わなかったが、もう二度と会うつもりはないのだと彼は気がついたのである。もし、このまま引き留めなかったら、二人の関係はこれで完全におしまいだと彼にはわかった。彼の取る手段は、一つしか考えられなかった。彼は、さっきの青年たちと逆のルートをたどった。つまり、門を乗り越え、イーリスを追いかけようとしたのである。
 イーリスは、後ろから誰かが走ってくるのに気づいた。しかし、まさかサンディだとは思わなかった。二人の間には鉄の扉があったからである。だから、かの女は振り返らず、早足で歩き続けた。かの女は、後ろから抱きしめられるまで、誰かが自分を追いかけてきたとは思わなかった。かの女はいきなり後ろから拘束され、暴れた。
「・・・イーリス=バウマン=ド=メディシス」彼は息を切らしながらささやいた。
 その声を聞くと、イーリスはもがくのをやめ、振り返った。その顔は涙のためにゆがんでいた。悲嘆、絶望、疲労が浮かんでいるその表情に、驚きが混じった。
 彼は、イーリスよりも驚いた顔をしていた。まさか、かの女が泣いていたなんて思わなかった! 彼の表情は急に優しくなった。しかし、かの女を抱きしめる手には逆に力が加わった。「・・・きみさえいてくれたら、あとは何もいらない。きみが望むなら、なんでもする。きみを愛している。何があっても逃がさない」
 イーリスは力なく訊ねた。「・・・本当かしら?」
「ぼくたちの間には、何も障害になるものはない。たとえあの3メートルの門だって、ド=メディシス家の決まりもシャルパンティエ家の決まりも、ぼくたちには、何の障害にもならない。許してくれ。いや、許してくれると言ってくれるまでは、ぼくはこの手をはなさない」
「・・・じゃ、あなたを一生許さない・・・」イーリスの涙が、彼の腕に落ちた。「何があっても、あなたを決して許さない・・・」
 彼はかの女をきつく抱きしめたまま泣き笑いした。その言葉が《愛している》と同じ意味だということを知っていたからである。
「ぼくは、二度とバラに嫉妬はしない」彼はそう言いながらかの女の髪に顔を埋めた。「今日からは、ここのバラは、ぼくのかわいい娘たちだ。ぼくも、娘たちをかわいがっていくことにしようと思う」
「サンディ・・・」イーリスは涙声で声をかけた。
「そうさ・・・そう思わなかったら、きっとぼくの胸は張り裂けてしまうだろう」彼はかの女の耳元でささやいた。「だから、ぼくだけを愛するって言ってくれ、イーリス・・・頼む・・・」
 イーリスは、鼻にかかったような声で何かをつぶやいた。彼には『あなただけよ』と聞こえた。
「・・・ぼくは、世界で一番幸せな男だ」彼はそうつぶやき、横を向いた。
 バラの茂みから、一つだけ白いバラが見えた。彼はもちろん、ラ=メーゾン=ブランシュの白バラの伝説を知っている。この町の人間で、それを知らぬ人間は一人もいない。
 彼は銅像を見あげた。そして、心の中でこう唱えた。《パトリック、きみの妹を幸せにする。絶対に。だから、ぼくたちを守って欲しい・・・》
 イカロスの銅像は、そんな二人を見下ろしていた。永遠の優しい微笑みを浮かべながら・・・。
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