FC2ブログ

年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第7章

第133回

 ショパンの作品で、作品61の後は、大きな曲はない。ノクターン、マズルカ、ワルツで、生前出版されたピアノ曲は終了である。
 その最後の作品、64-3もまた変イ長調であった。
 ステラは、そのワルツを演奏した。
 青年の魂はすでに天国の方を向いていた。かの女の演奏には、もはや<悲しみ>はなかった。そこには、あらゆる感情を知り尽くし、もう何事にも動じない人間の姿があったのである。
 シャロンは、ステラが自分の死を覚悟していることを悟った。かの女の演奏には、この世に対する未練が全くない人間にしかないような強さが感じられたのである。
 これで、ステラとステファンスキーの契約はおしまいのはずだった。
 しかし、ステラはこう言った。
「最後に、もう1曲だけ、おつきあい願えませんか?」
 ステファンスキーは首をかしげた。
「ショパンは、最後にヘ短調のマズルカを作曲したそうですね・・・それをレッスンしていただけないかしら・・・?」ステラが続けた。
 ステファンスキーはうなずいた。
 ステファンスキーが帰った後で、ステラはマズルカの楽譜を譜面台にのせた。
 フィルは、いつものようにその楽譜を見て演奏した。目が見えないステラは、それを聞きながら暗譜するのである。難しい曲の場合は、フィルは右手と左手をばらばらに演奏し、ステラは聞き覚えのある音楽を組み立てた。が、このマズルカはさほど難しい曲ではなかった。
 ステラは、その曲を知っていたから、一度聞いただけで思い出した。
 かの女は、そのヘ短調のマズルカを弾き始めた。
「・・・ヘ短調なんですね・・・」ステラは言った。「ショパンは、フラット4つ、という調を選んだの。さっきのワルツと一緒だわ・・・あのワルツは、よそ行き顔のショパンよ。彼は、人前では、かっこいい自分を演じていた。でも・・・ほんとうの彼がここにいる・・・同じフラット4つ・・・ほんとうは、彼は悲しかったのよ・・・こんなに・・・でも、彼は、そんな顔をするわけにはいかなかったの・・・だって・・・そうしたら、みんなに心配かけるじゃないの・・・」
 フィルは涙ぐんで聞いていた。
 シャロンもその言葉に衝撃を受けていた。彼は、何も言えないまま妻を見つめていた。
「シャロン、ありがとう・・・わたし、幸せだった」ステラが言った。「でも・・・わたしは・・・一人の女性を不幸にしてしまった・・・」
 シャロンは青くなって、ステラの手を取った。
「フィル、マディ・・・ここにいる?」ステラが訊ねた。二人の子どもたちはかの女の反対側の手を取った。「・・・わたしは、これから大事な話をするから、聞いてちょうだい」
 子どもたちは黙ったままうなずいていた。
「もう、何年前になるかしらね・・・。わたしは、スイスで、シャロンと初めて会ったの。わたしは、一目で彼が好きになってしまった。でも・・・人生ってうまくいかないのね・・・わたしを好きになったのは、彼ではなくて、彼のお兄さまだった・・・。わたしは、むりやり彼のお兄さまと婚約させられたの。ところが、わたしの婚約者は、病気で死んでしまった・・・。それがわたしの人生の転機だったのね・・・」ステラは目を閉じたまま話し出した。
関連記事
 関連カテゴリ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
もくじ  3kaku_s_L.png データベース
もくじ  3kaku_s_L.png 設定
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
  ↑記事冒頭へ  
*Edit
  ↑記事冒頭へ