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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第1章

第14回

 サン=マルタン教会のオルガニストは、ある日クラリスに訊ねた。
「なぜ、作曲をするのかね、クラリス?」
「わかりません」クラリスは答えた。
「どうして、わけもないのに作曲するのかね?」
「作曲しているんじゃないんです。考える前に、曲があるんです」
 メランベルジェは考え込んだ。しばらく考えた後で言った。「曲がきみを支配するのではなく、きみが曲を支配しなさい。考えてから曲を書くんだよ」
「考えてから・・・?」クラリスは首をひねった。
「そう。曲があるんじゃない。その曲を支配するんだよ」
「わたしが曲を支配するんですか?」
 メランベルジェは少し考えた。「・・・きみは、いくつになった、クラリス?」
「8つです」クラリスは即答した。
「8つか。まだまだ曲に支配される年なのかもしれないね。でも、いつか、わたしの言葉を思い出してくれるかな?」
「・・・どうして、そんなことを言うのですか?」クラリスは、ちょっと悲しそうな表情になった。
「わたしは、そのうちに死んでしまうからね」
 クラリスは、びっくりしてメランベルジェの優しい目を見つめた。かの女には、メランベルジェがいつか死ぬのだということを信じることはできなかった。初めて会ったときには、メランベルジェはすでに老人だった。そして、ずっと老人のままだと信じていたのである。
「わたしは、もう71になろうとしている。しかし、きみはまだ8つだ。わたしは、この生涯に、いろいろな作曲家たちを見てきた。ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、リスト、ベルリオーズ・・・。わたしは、こんなにも長く生きてきたんだよ、クラリス・・・」メランベルジェが言った。「きみには、これから、長い人生が待っている。しかし、いくら長い人生だとはいえ、時間は貴重なものだ。その時間を大切に使うためには、無駄なことをしていてはいけないんだよ・・・。考えないで作曲するというのは、時間を無駄にしていることなんだよ・・・。きみが大きくなればわかるだろう」
 クラリスには、よくわからなかった。しかし、かの女はうなずいた。
 メランベルジェは、満足そうにほほえんだ。彼は、心の中でこう言っていた。
『クラリス=ド=ヴェルモン。この子は、これまでわたしが育てたどの弟子よりも大物になるだろう。しかし、わたしには、この子が成長するまで見届けることは、おそらくできないだろう・・・』
 この会話から少しして、メランベルジェは、最年少の弟子を、一番信頼が置ける教師であるベルナール=ルブランに預けることにしたのだった。
「ルブランくんの方が、音楽について何でも知っているからね」これは、メランベルジェの口癖のようなものであった。確かに、教育家として、ルブランの右に出る人間はひとりもいないだろう。メランベルジェを含めて。
 メランベルジェという人間は、自分のことをよく知っている人間だった。誰よりも謙虚な男だった。
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