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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第77章

第1394回

 ヴィトールドはゆっくりと首を横に振った。「ぼくは一人っ子です」
「うむ」アントーニはわざと真面目な顔をした。「さる高貴な書物によると、かの女性は、大天使ガブリエルのお告げにより、乙女のまま身ごもり、ただ一人の子どもを残した。あなたは、もしや、そのキリストでは?」
 それを聞いていたマスターはふきだした。
 ヴィトールドは眉を寄せた。「・・・信じていませんね?」
 アントーニはしばらく彼を見つめていた。そして、小さな声で訊ねた。「本当なのか?」
「あれは、ぼくの母、ルドヴィーカ=ザレスカです」ヴィトールドは答え、ティーカップを手にした。
「・・・本当に、あなたは、シャルロットのお兄さんじゃないの?」
 ヴィトールドはうなずいた。「遠い親戚ですよ」
「親戚か・・・」マスターが言った。「ロジェ。シャルロット。あなたたちの親戚には、まだほかにも作家がいるのですか?」
 ヴィトールドは首を横に振った。「たぶん、いないと思いますよ。それに、ぼくとロジェは親戚でもなんでもありません」
「恋敵?」アントーニが訊ねた。「一人の女性を巡って、二人の男性が対決する・・・」
 ヴィトールドはそっとため息をついた。「かりに、二人の男性の想いが同じだったとしても、当の女性にはフィアンセがいます」
「かりに・・・?」アントーニはその言葉を繰り返した。彼にはわかっていた。その事実が《かりに》ではないということが。ロジェは年下のまたいとこを愛している。本人は守護天使だと語るが、彼が本気なのはその目を見ればわかる。そして、この男性だ。初対面でありながら、この男性の気持ちははっきりと読みとれる。かの女のことが話題になるときの表情を見れば、一目瞭然だ。
 しかし、彼はこれ以上この話題を続けなかった。彼はくるっと振り返ると、後ろにいたマウゴジャータに声をかけた。
「こっちへおいでよ、イーヴ」
 マウゴジャータは、物憂げな表情をさっと消し、グラスを持って立ちあがった。かの女は一人きりでテーブルに座り、ぼんやりしていた。周りの人たちは、かの女が小説の構想でも練っているのだろうと思っていただろうが、アントーニだけはわかっていた。かの女が今考えているのは、自分の小説のことではないと。
 そして、アントーニは二人の間の空席にマウゴジャータを座らせた。
「あなたは、イーヴと呼ばれているの?」ヴィトールドはドイツ語で声をかけた。
「ええ、それがわたしのペンネームなの。ここでは、特に外国人は、ペンネームで呼ばれることが多いわ。彼はアダムと呼ばれているの。あなたも、きっとギュスターヴと呼ばれるようになるわね」
「おや、もう知り合いだったの?」アントーニが訊ねた。
「さっきね」かの女が答えた。「詳しいことは聞いていないけど」
「ぼくのペンネームは、ギュスターヴ=フェランです」ヴィトールドはあらためて自己紹介した。「出身はワルシャワです」
「ワルシャワ?」アントーニは驚いた。「わたしはケーニヒスベルク。このひとはクラークフ出身だ」
 マウゴジャータは、彼がなぜ驚いたのかはわからなかった。「でも、ほとんどフランス出身と言ってもいいくらいよね、元将軍さん?」
「元将軍はやめてよ」ヴィトールドは苦笑した。
「おや、もうあだ名が付いたの?」アントーニが訊ねた。
 二人は笑い出した。マスターも一緒に笑った。
「・・・ほらね。誰も信じないって」ヴィトールドはあきらめ顔で言った。
 マウゴジャータは、誇らしげに言った。「この人はね、ポーランド軍少将の地位を蹴って退役したのよ」
 アントーニはにやりとした。「そうか。じゃ、わたしにはポーランド軍元帥のお誘いがあるかも知れないな」
 それを聞くと、三人はまた笑い出した。
「真面目な話なのよ」マウゴジャータが言った。「彼は、サン=シール陸軍士官学校の出身で、退役大佐なの。軍を辞めると言ったとき、上層部は少将の地位を提示して引き留めたけど、彼はその地位を蹴ったのよ」
 そして、アントーニを見つめて続けた。「・・・信じていないって顔ね」
「今の話を一度で信じたのは、あなただけだよ、イーヴ」ヴィトールドは真面目な顔で言った。
「じゃ、さしずめ、わたしは聖トマス、ってところだな」アントーニはそう言って笑った。
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