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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第77章

第1396回

 マウゴジャータは、その様子を寂しそうに見つめていた。どんな女性か知らないが、一人の男性にそこまで影響力を及ぼすことができるその女性がうらやましかった。自分は誰にとっても、そういう女性ではない。
「フェリックス=ザモイスキーは、わたしの兄だった。小さい頃から秀才だと言われていたんだけど、どこかで人生が狂ってしまったのね。彼は自分の手で世界を変えたかったのよ。そして、わたしたちの世界まで変えてしまった」マウゴジャータが言った。「彼が、ある政治家の一家を暗殺して以来、わたしたちは、フェリックスのきょうだいだというだけで白い目で見られるようになったのよ。わたしたちは、クラークフを離れなければならなくなった。そのとき、匿名の人物が、わたしと弟に奨学金を出してくれたの。わたしたちはスイスの全寮制の学校に入ることができたのよ。フェリックス=ザモイスキーという名前を知る人がいない環境に来ることがね」
「匿名の人物?」ヴィトールドは首をかしげた。
「ええ。ワルシャワ在住のある貴族だと聞いたわ。詳しいことは言いたがらなかった。彼が誰なのかを知ろうとしないということだけが、奨学金を出す条件だったのよ」
 マスターはゆっくり首を振った。「もしかすると、暗殺された貴族の親戚かなんかだったのかな?」
「なぜそう思うんです?」アントーニが訊ねた。
「彼が亡くなったことで、自分に遺産が転がり込んできたから・・・」マスターは言った。
 ヴィトールドは首を横に振った。「それはありえません。暗殺された貴族の親戚は、遺産相続を巡って、泥沼の争いをしたくらいですから」
「詳しいんだね?」マスターは感心したように言った。
「ワルシャワのポーランド人なら、知らない人はいませんよ」ヴィトールドはあっさりと答えた。「それより<彼>だというのは、間違いないの?」
「まさか、女性だとでも・・・?」マウゴジャータも首をかしげた。
「男性だと思ったのには、何か理由でもあるんですか?」ヴィトールドが訊ねた。
「代理人という方と何通か手紙のやりとりをしました。どう見ても男性の筆跡に見えました。彼の依頼人が女性だという話は一度も出ませんでした。でも、どうしてそんなことを・・・?」
「いいや」ヴィトールドは即座に否定した。「ただ、聞いてみただけです。それより、続きを話して下さい」
 マウゴジャータは、ほんの少し顔をしかめた。「そこを出たあと、わたしは大学を受験するためにローザンヌに来たの。そして、そこで、一人の男性に会い、彼に夢中になったのよ」
 そこで言葉を切り、かの女はヴィトールドを見つめた。「わたしの初恋だった。わたしは、全身全霊で彼を愛した。でも、彼はそれからすぐに、別の女性と一緒にレマン湖で自殺したの。わたし、彼が許せなかった。あなたのお友達なら、きっと二人とも許すんでしょうね。でも、わたしには、そんなことはできない・・・」
 ヴィトールドは口をはさんだ。「あなたは、彼と一緒に死にたかったの?」
「そういう意味じゃないわ。彼が一緒に死ぬ相手をわたしにしなかったことが許せないの」
「違いがよくわからないんですが」ヴィトールドが言った。「あなたは、彼と死にたかったの、死にたくなかったの?」
 マウゴジャータは答えなかった。
「一緒に死ぬ覚悟がないのなら、彼を恨むのはやめるべきです」ヴィトールドが言った。「あなたは、愛する人のために死ぬことができますか? 本当に好きな人のためになら、人は死ぬことさえ厭わないものです。もし、その覚悟がないのなら、彼のことは諦めなさい。彼のことなんか忘れてしまいなさい。あなたにふさわしい人は、ほかにいるはずです」
 かの女は両手に顔を埋め、すすり泣いた。そして、そのままカフェから飛び出すように出て行った。
 ヴィトールドは黙ってそれを見送ったあと、冷たくなった紅茶の入ったカップに目を移した。
「・・・かの女は、死んだイーヴを忘れないため、その名前をペンネームにしたんですよ」アントーニが言った。
 ヴィトールドは小さくため息をついた。「・・・そんなことだろうと思いました」
 そして、彼はゆっくりと紅茶を口に運んだ。カップを元に戻すと、彼は続けた。
「かの女は、有名になればなるほど、イーヴの名前に執着するようになる。忘れなければならないのに、逆に忘れることができなくなり、結局は不幸になってしまう・・・」
「忘れなければならない・・・?」アントーニはその言葉を繰り返した。
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