FC2ブログ

年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第79章

第1430回

 シャルロットは家に戻るなり着替えを済ませ、厩舎に向かった。
 ロッシュ=エーグルに会いたかった。彼の背中の上で、考え事がしたかった。風を感じたかった。
 馬は、不安げにシャルロットを出迎えた。鞍をつけている間も、かの女が乗るときにもおとなしくしてはいたが、かの女がいつもと違う雰囲気なのは感じ取っていた。
 シャルロットは馬の背中を優しく撫でてから、ギャロップで庭に出た。
 湖の方から来る風が冷たかった。かの女は柵の中を何周かしてから、茂みの方へと馬を走らせていった。そして、あたりに誰もいなくなってから馬を下りると、近くにあった木に手綱をくくりつけた。馬は、足元の草を口にし始めた。
 かの女は、大きな岩に座り、ぼんやりと考えた。
 コラン=ブルームには、目の前に二人の魅力的な女性たちがいた。彼は、窓の外を通っていく話をしたこともない女性がすでに既婚者だということを知っても、かの女に憧れ続けた。いや、より正確には、最後まで知り合うことができなかった夫婦二人と心の中で友情をあたため続けていた。もし、あの二人のほうがブルームを知っていたら、友人としてよりも一人の病人として興味を持ったに違いない。二人とも医者だったから・・・。もしかすると、ブルームをより腕の確かな友人たちに任せたかも知れない。もしかすると、彼はもう少し長生きして、グレタと幸せに暮らしたかも知れない。もしかすると・・・。
 シャルロットは首を振った。モマン=ミュジコーの言葉ではないが、《歴史にもしもはない》。ブルームはあのような生涯を送り、グレタはずっとそばで見守っていた。ブルームが選んだのは紅茶だった。その選択は正しかった。かりに、あのときアレクサンドリーヌが既婚者ではなかったとしても、彼にふさわしい女性はグレタだった。ブルームにとってアレクサンドリーヌは、通り抜けていくだけの風に過ぎなかった。たくさんのインスピレーションを彼に与え、その場に留まることはないそよ風。
 グレタは魔女だった。かの女は、彼の生涯にたくさんの魔法を使った。彼は、かの女が作り出した世界の中で---あの小さなベッドの中で---たくさんの夢を見た。たくさんの音楽を作った。そして、かの女を愛し続けた。《ちいさな魔女》と彼はかの女を呼んだという。彼は間違っている。かの女は《彼の偉大な魔女》だった・・・。
『あなたは、クッキーを選ぼうとしている』グレタはあのときそう言った。
 クッキー・・・。
 グレタは二人の男性を紅茶とクッキーにたとえた。そして、ヴィトールドを選ぼうとしていることを見抜き、その感情を一時的な気の迷いだと言った。
 かの女は、わたしの選択が間違いだと考えていた・・・。
 冷たい風が吹き抜けた。
 シャルロットは服の襟を立て、空を見上げた。あたたかい春が訪れようとしている。そのとき、かの女の脳裏に浮かんだのは、なぜかチャルトルィスキー夫妻の姿だった。あの二人が愛し合っていたのは、子どもだったシャルロットにもよくわかった。彼らがそっとかわすあの目配せ一つだけでも、見ているシャルロットでさえあたたかい気持ちが伝わるのを感じたものだ。ナターリア夫人は夫のことをこう評したという。『あの人は、冬の太陽のような人です』。冬の太陽。そうだ。普段は雲の中に隠れてしまっている。寒い冬には、太陽の存在はありがたいものだ。降り積もった雪がやみ、雲の切れ目から顔を出す太陽。そのあたたかさでひとを優しく包み込み、真っ白な世界は、太陽の日を受けてきらきらと輝きを見せる。
 まさに、ヴィトールド=ザレスキーというのはそういう人だった。
 シャルロットははっとした。彼が出て行って以来、彼のことを考えるのはこれで何度目だろう?
 ヴィトールドの目の色は、この空の色だ。そして、彼は太陽だった。彼は情熱を持ってその火でかの女を焼き尽くそうとしているかのように見えるときと、この木のように大地に根をしっかりと下ろし、風や雨から守ろうとしているように見えるときがある。彼は大きな木でもあった。かの女は、その木の下に避難し、その守護と安らぎを手にする。彼がいない世界は、暗闇の世界。行き先を見失い、誰も助けてくれる人がいない中でさまよう嵐の中の世界。
 雲が切れ、あたりが急に明るくなった。
 ヴィトールドに会いたい。彼は、まだ自分を愛してくれているのだろうか? もう自分のことなど諦めてしまったのだろうか? いや、それ以前に、あのプロポーズは本気だったのだろうか? 酔った上でのことではないと言い切れるだろうか?
 かの女の考えは堂々巡りを続けていた。ただ、一つだけはっきりわかっていることがあった。
 彼を愛していた。コルネリウスを愛するのとは全く別の愛し方で、彼を愛していた。
 だが、その恋には、未来はなかった。何の希望ももたらすことはなかった。
関連記事
 関連カテゴリ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
もくじ  3kaku_s_L.png データベース
もくじ  3kaku_s_L.png 設定
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
  ↑記事冒頭へ  
*Edit
  ↑記事冒頭へ