FC2ブログ

年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第8章

第146回

「曲を見るまでもないだろう」シモンが言った。「書きたいものがあれば、書けばいい。それとも、わたしのもとで勉強して、シモン風に作品を塗り替えるつもりかね?」
「・・・わかりました、ムッシュー=シモン・・・。わたし、帰ります。でも、その曲だけは見て下さいませんか?」
「きみには、未来がある。こんなところで時間を無駄にするんじゃない」シモンが言った。「第一、人の意見を聞こうとするなんて気が弱い。ベルナール=ルブランを知っているかね? 彼がよく言っていた。メランベルジェは、あの有名な<希望>と呼ばれるピアノ五重奏曲の初演の時、第一ヴァイオリン奏者が途中で席を立って帰ってしまった後、ルブランにこう言ったそうだ。『彼は、あの曲に耐えられなかったんだね・・・。でも、わたしはいいと思ったよ。あの曲は、わたしが思っていたのと同じくらい、いいできだったよ』・・・もう、これは伝説だがね・・・」
 クラリスは、ルブランにその話を聞いたことはなかった。だが、かの女が知っているメランベルジェなら、自分の作品を『思っていたのと同じくらい、いいできだった』と言ったはずだ。メランベルジェというのは、そういう人間だ。ルブランは、決して誇張して語ったとは思えなかった。そして、メランベルジェなら、ルブランの作品に対しても同じ言葉を言っただろう。彼は、自分にも他人にも寛容だった。
 クラリスは、思わず苦笑した。
「・・・さあ、自信を持ちたまえ、マドモワゼル」シモンはそう言った。「きみは、自分が思っている以上にすばらしい作曲家だよ」
 クラリスは、シモンに別れを告げた。交響曲のスコアは、テーブルの上に置いてきた。
 クラリスを見送って部屋に戻ったとき、シモンはテーブルの上のスコアに気づいた。いつもなら見向きもせずにほかの楽譜と一緒に片づけてしまうのだが、彼は表紙の<第45番>というタイトルにふと興味を持ち、中を開いてみた。
 気がついてみると、彼は弟子たちの作品を講評するときのようにピアノのまえに座り、ペンを握りしめていた。やがて、スコアを譜面台にのせ、ペンを譜面台の中央に置くと、曲の最初から弾き始めた。彼は、弾いているうちに曲に引き込まれていた。彼は、その作品が、自分のスタイルを確立した一人の音楽家の作品であることを感じていた。曲が終わると、彼は深いため息をつき、つぶやいた。
「・・・あの子には、悪いことをしてしまったな・・・。こんなことなら、追い返すようなまねをするんじゃなかった・・・。あの子を救う方法なら、いくらでもあったのに・・・。ここに作品を持ってくるどんな子より、あの子には才能があった・・・」
 彼はもう一度表紙を見た。そして、最後のページまで見た。しかし、作曲家のサインはどこにもなかった。彼は、クラリスの名前を聞くことさえ忘れていたのであった。彼のところには、弟子になりたくて来る若者がたくさんいた。その大部分は、彼の作品を小さくまとめたような作品を持ってくることが多かった。彼は、次第にそんな人たちの相手をするのに疲れ、追い出すようになっていたのだった。しかし、クラリスは彼らとは違っていた。彼は、かの女を追い出したことを後悔していた。せめて、名前だけでも聞いておくんだった・・・。
「これだけの才能の持ち主なら、いずれは、名が知れることになるだろう」シモンがつぶやいた。「わたしがかの女の力になるのは、そのときでも、決して遅くはないだろう・・・」
 彼は、スコアをピアノのほかの楽譜の上にのせ、次の生徒を呼んだ。
 マルク=アントワーヌ=シモンが、クラリス=ド=ヴェルモンを思い出すのは、だいぶ先のことになる。
関連記事
 関連カテゴリ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
もくじ  3kaku_s_L.png データベース
もくじ  3kaku_s_L.png 設定
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
  ↑記事冒頭へ  
*Edit
  ↑記事冒頭へ