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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第81章

第1466回

 シャルロットは目をぱちくりさせた。いきなり助けて下さいと言われても、何がなんだかわからない。
 代わってロジェが説明を求めた。
「ドクトゥール=ルフェーブル、もう少し詳しくお話を聞かせてもらえませんか? 助けるって、いったい何をして欲しいんでしょうか?」
 ドクトゥール=ルフェーブルはその言葉を聞き、唇の端をゆがめるような笑い方をした。
「実は、グルノーブルの兄のところにいるある患者さんのことで、どうしてもあなたにお願いがあるのです」ドクトゥール=ルフェーブルが言った。
 エドモン=ルフェーブルは、グルノーブルで開業医をしている。彼は小さな子どもからお年寄りまで幅広い年齢層の患者を持つ町医者だった。
「ある患者さん・・・?」シャルロットは首をかしげた。
「ええ。彼は、戦争に行き、失明して戻ってきました。兄が彼に偶然出会い、グルノーブルに連れて行ったんです」ドクトゥール=ルフェーブルが言った。「失明するのは、確かに大変な経験に違いありません。ただ、心配なのは目ではないと兄は言います。彼は、失明した結果、心の目まで閉じてしまったのが問題だと・・・」
 シャルロットは真剣にうなずいた。
「あなたになら、彼の目を開かせることができるのではないかと兄は言います」ドクトゥール=ルフェーブルが言った。「兄は、あなたが自分の患者さんの最期を見取った時のことを話してくれました。その患者さんは、あなたのヴァイオリンの演奏を聞きながら、心安らかに旅立ったそうですね。そんなあなたなら、彼の心をも開いてくれるのではないかと彼は期待しているのです」
 シャルロットはそれを聞くと、脅えたように目を泳がせた。
「戦争から戻ってきて、全く別人のようになってしまった彼を見ているのがつらいと兄は言います」ドクトゥール=ルフェーブルが言った。「以前の彼は、そうではなかった。彼がいるところに、秩序あり。皆がそう言うような、そんな人間だった・・・」
 シャルロットは青くなった。そして、彼の言葉を思わず遮った。
「ドクトゥール=ルフェーブル・・・」シャルロットは言った。「あなたがおっしゃる<彼>とは、まさか・・・?」
 ドクトゥール=ルフェーブルははっとしたようにシャルロットを見つめた。
「名前を言うのを忘れていましたか?」ドクトゥール=ルフェーブルは額にしわを寄せた。「そうです。わたしが言っているのは、ブリューノ=マルローのことです」
 その名を聞き、ロジェも驚いたように彼を見つめた。
「ドクトゥール=マルローが、失明なさったの?」シャルロットはそう言うと、悲しそうな表情になりうつむいた。
 ドクトゥール=ルフェーブルとロジェは、シャルロットの表情を見てショックを受けた。彼らは、シャルロットが驚くだろうとは想像していた。だが、その表情に悲しみが混じるのは想像外のことだった。彼らが知っているブリューノ=マルローは、《彼のいるところに秩序あり》という言葉通りの人間だった。彼にとっては秩序というのは何よりも自然なことだった、と周りの誰もが思っていた。彼は人間が秩序に従うことをごく当たり前だと思っているような人間だった。例外はほとんど認めないくらい杓子定規な人間だった。彼は上司であるドクトゥール=ド=ラ=ブリュショルリーでさえ秩序に従わせることができる唯一の人間だった。ドクトゥールの<娘>であったシャルロットを本気で叱責できるほぼ唯一の人間だった。ドクトゥール=ルフェーブルたちは、シャルロットはブリューノ=マルローを恐れていると思っていた。確かに、子どもの頃のシャルロットは、お目付役の彼の存在に脅えていたかも知れない。それは、当時子どもだった誰もがそうだった自然の反応だ。ロジェでさえ彼には一目置いていた。本気で彼を怒らせようと思った人間は一人もいなかったはずだ。
「だから、彼は研究所に戻ってこなかったのね・・・」シャルロットはそう言いながら涙ぐんだ。
「シュリー・・・」ロジェは優しく声をかけた。
「まさか、そんなことになっていただなんて・・・」シャルロットの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。「でも、わたしには、そんな力はないわ。彼の目を開くことができる人間が存在するとしたら、それは、わたしじゃないわ」
「じゃ、誰だと思います?」ドクトゥール=ルフェーブルが訊ねた。
 シャルロットは力なく答えた。「今は、この世にいない人間です」
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