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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第81章

第1482回

「なんですか、その挨拶は?」その口調は、すでに昔の彼のものに戻っていた。その口調を聞けば、誰もがぱっと体を離し、『ごめんなさい、ドクトゥール=マルロー』と謝りたくなるような、いつもの辛辣な口調だった。
 しかし、シャルロットは全く怯むことなく、かえって彼に抱きついてうれしそうな声を上げた。「あら、こんなにうれしいのに、喜んではいけないの?」
 マルローはかの女をにらみつけた。「あなたは、もう、そんなことをしていい年じゃありません」
「わたし、ずっとこうしたかったの」シャルロットは優しく言った。「あなただって、ずっとこうして欲しかったんでしょう? ほかの人がそうしてもらっているのを見て、本当は自分もそうして欲しいと思っていたんでしょう? わたしだって、本当はあなたにこうしたかったの。あなたが好きよ、ブリューノ」
 マルローは、子どもだったシャルロットを突き放そうとしたときと同じようにかの女の肩に手をかけていた。しかし、その言葉を聞くと、かの女の肩をつかんでいた手を急に止め、一瞬後、逆にかの女を自分の方に引き寄せた。幼い子どもが自分の母親にするように、シャルロットは彼に抱きしめられた。
「シュリーさま!」マルローはくぐもった声でそう言い、さらにかの女の胸に顔をおしつけた。
 シャルロットは優しく彼の髪を撫でた。その動作は、母親のそれだった。
「もう、がんばらなくてもいいのよ、ブリューノ」シャルロットは優しくそう言った。
 彼は一度止まった涙がまたあふれ出てくるのを感じた。シャルロットは、彼の頭を優しく撫で、反対の手で彼の背中をさすった。
 一同は、黙ったままそれを見つめていた。
 やがて、彼は自分から身を引き離した。
 いつの間にか床に落ちていたサングラスを、ルフェーブル医師は彼の膝の上に載せた。彼は涙を拭き、サングラスをつけた。
「ありがとう」シャルロットがマルローに言った。
「あなたにお礼を言われるようなことは何もしていません」マルローはいつもの口調で言った。
「あなたがいてくれたから、わたしはここまで生きてこられたんです」シャルロットが言った。「研究所に戻って下さい。あそこには、あなたが必要なんです」
「今のわたしが、誰かの役に立てるだろうか?」
 シャルロットは優しく言った。「生きている限り、人は人を頼りにします。人は一人では生きられないからです」
 マルローは苦笑するようにシャルロットを見つめた。
「あなたには、あなたにしかできないことがあるんです、ドクトゥール=マルロー」シャルロットはそう言った。「わたしには、わたしにしかできないことがあるように」
「で、わたしに、何をしろと・・・?」彼は皮肉めいた口調で言った。
「手始めに、点字を覚えることでしょうか」シャルロットが言った。「研究所に、アンリ=ファルローという盲目の少年がいます。彼ならば、あなたの先生にぴったりだと思うわ」
「アンリ=ファルロー?」マルローは驚いたように言った。「・・・まさか、弁護士のシャルル=ファルローの息子の、ですか?」
「ファルロー弁護士をご存じなの?」シャルロットは逆に訊ねた。
「親友のゴントラン=ファルローの弟だった」マルローが答えた。「ゴントランは、大学時代の友人で、将来有望な研究者だった。もし、生きていれば・・・」
 そう言うと、彼はしばらくの間黙った。
「生きている人間には、死んだ人間の分も生きるという仕事があります」サヴェルネがマルローに言った。
 マルローは聞き覚えのない声を聞き、彼の方に顔を向けた。
「あなたは、ゴントラン=ファルローさんの分も生きなければなりません。そうでしょう?」
 マルローは下を向いた。それは、かつて親友の葬式の時に、彼らの師に言われた言葉でもあった。それ以来、彼はその言葉を守って生きてきた。目が見えなくなった今でも、その言葉は有効なはずだ。なぜならば、彼は今でも生きているからだ。
 しばらくして、彼は顔を上げた。「・・・わたしは、生き延びた。たぶん、何か生き残った理由があるはずだ」
 シャルロットはうなずいた。となりでルフェーブル医師もうなずいていた。
「研究所に戻ります」マルローはそう続けた。「わたしにしかできない、何かを探しに」
 シャルロットはマルローの手を取った。その手の上に涙がこぼれ落ちた。



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