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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記 SIDE-B」
第82章 B

第1486回

 ウラディーミルはいきなり立ちあがり、シャルロットが出て行った方へ向かった。
 シャルロットは、隣の部屋で泣いていた。ドアが完全に閉まっていなかったので、ウラディーミルは泣き声を頼りに隙間から中を覗いた。シャルロットは、窓の外を見ているようだった。視線の向こうには、木の上でさえずっている一羽の鳥が見えた。
 ウラディーミルは作法に反してドアを完全に閉めた。
「ロッティ、大切な話がある」ウラディーミルは英語で声をかけた。「決して手の届く範囲には近づかない。ただ、もっと近くに行ってもいいかしら?」
 シャルロットは黙ってうなずいた。
 ウラディーミルは、1メートル離れたところで立ち止まった。彼の視線も木の方を向いていた。
「ベアトリスを置いてきてしまった」ウラディーミルはぽつりと話を始めた。「娘のヒアシンスと一緒に」
 シャルロットは驚いたようにウラディーミルを見つめた。
「・・・二人とも、死んだんだ・・・一年前に」ウラディーミルは木の方を見つめてそう言った。
 シャルロットは、自分からウラディーミルに近づき、彼の冷たい手を取った。
「・・・ありがとう」ウラディーミルが言った。「きみが慰めてくれるとは思わなかった」
 シャルロットはかすれた声で言った。「愛する人を亡くすのは、つらいことだわ・・・」
 ウラディーミルは黙ってうなずいた。
 二人はしばらく手をつないだまま黙って外を見ていた。
 やがて、ウラディーミルは淡々とした口調でこれまでのことを話し始めた。
 1918年5月25日、ウラディーミルとベアトリスはパリ行きの列車に乗った。パリについて二人が最初に考えたことは、これからどうしたらいいかということだった。マルセイユに向かい、そこから船に乗ることは決めている。問題は、それまでどうやって暮らすかだった。二人にはほとんどお金がなかったし、ウラディーミルはまだ働ける状態ではない。ベアトリスは看護師の資格を持っているが、アレクサンドル=シャルパンティエの娘とわかったらミュラーユリュードに連絡が入るのは間違いない。もしかすると、かの女の父親は、心当たりがある病院に手を回している可能性もある。だめだ。看護師として働くことはできない。
 やがて、ウラディーミルは、小さなカフェのピアノ弾きの仕事を見つけた。同じ場所に定着することができないので、少しずつ南に移動しながら彼は働いた。そんなある日、彼は仕事中に倒れ、病院に運ばれた。たまたま、彼を診た医者がイアサント=クチュリエだった。クチュリエ医師は、彼が倒れた理由は疲労と栄養失調だと思ったが、そう告げれば彼が再びきつい仕事に戻ることは分かり切っている。それで、医師は、いいかげんな病名を彼に告げ、彼を病院にとどめた。やがて、ほかの医師が、彼の体の中に残ったガラスの破片の一つが彼の病気の本当の原因だと突き止めた。彼らは、ウラディーミルに手術を勧めた。しかし、彼らにはお金がなかった。彼は手術を断わるしかなかった。
 ウラディーミルに付き添っているベアトリスを見たクチュリエ医師は、ベアトリスが看護師だと見抜いた。しかも、かの女が妊娠していることも。彼は、二人とじっくり話をし、二人が置かれている本当の立場を知った。そのうえで、彼は協力を申し出た。手術をするために、彼がお金を貸すこと。その費用は、看護師であるベアトリスが病院で働きながら少しずつ返済してくれればいい。かの女はここで出産すべきだ。病気が治ったあとは、二人で働きながらお金を返せばいい・・・。こうして、クチュリエ医師は、彼らをフレディとマルトという偽名のまま病院に置いた。修道院長に頼んで、ベアトリスを<スール=マルト>として特別に雇って欲しいと依頼した。看護修道女の格好をしたベアトリスは、誰にも気づかれないまま病院に勤務することができた。
 手術に成功したウラディーミルは、借金の返済のためサン=ジェルマン=アン=レーにしばらく留まった。ベアトリスがそこで出産するまで出発を待たなければならない事情もあった。ところが、まもなく出産が近づいたある日、ベアトリスは突然流産した。子どもは死産だった。そればかりではなく、ベアトリス自身の体調も戻らず、かの女は命を落としてしまったのである。かの女の勤務中のできごとで、彼が駆けつけたときにはベアトリスはすでにこの世の人ではなかった。
 ベアトリスの手を握ったまま泣き続けていた彼に、担当の看護師がこう言った。
『《ウラディ、わたしが死んだら、白い墓石を一つ置いて下さい。石には何も刻まないで》・・・これがマルトの最後の言葉でした』
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