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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記 SIDE-B」
第82章 B

第1487回

 ウラディーミルは何も言わずに泣き続けた。
『ウラディ、って、あなたのことなの、フレディ?』看護師はそう訊ねた。
 泣いていたウラディーミルは黙ってうなずいた。
『あなたは、アメリカ人じゃなかったの?』
 ウラディーミルは、こんなときにそんな質問をする看護師に本気で腹を立てた。『お願いだから、しばらく二人きりにしてくれる?』
 そう言って、彼は泣き続けた。
 ウラディーミルは絶望していた。幼いとき、母親に言われた言葉が脳裏に浮かんだ。《お前は、生まれてこなければよかったのよ》・・・。彼は、ことあるごとにその言葉を思い出し、苦しんできた。しかし、母親の言う通りだったのではないだろうか? 自分は母親を幸せにすることはできなかった。シャルロットを苦しめた。ベアトリスを死なせてしまった。自分が愛する女性は、ことごとく不幸になってしまう。あのとき、母親の手にかかって死んでしまっていればよかった・・・。
 やがて、彼は自分が一人ではなかったことにやっと気がついた。いつの間にか、その場にイアサント=クチュリエがいた。医者は彼の後ろで神妙な顔をして祈っていた。彼が振り返ったとき、医者は彼が口を開く前に手で制した。
『マイ=フレンド』医者は英語で声をかけた。『あなたは、一日も早くアメリカに帰るべきです』
 ウラディーミルはもう一度口を開きかけた。しかし、医者は言葉を継いだ。
『あなたにはアメリカの空気が一番だ。ここにいたら、あなたも死んでしまうでしょう。これからは、入院費の残りのことなんか考えないで、自分のためにお金を貯めなさい。そして、早く故郷に戻るのです』
 ウラディーミルはやっと言葉をはさむことができた。『ドクター、わたしは、あなたに借金を返すまでは国に戻りたくありません』
 医者はほほえんだ。『そうだろう。あなたたちはそういう人だ。だからこそ、わたしはあなたたちを信用した。だが、借金を返すために体をこわしたのでは、何のためにわたしはあなたたちを治療したのかわからないだろう?』
 そして、医者は言った。『・・・近頃、わたしは思うんだ。医者って何なんだろう、って』
 ウラディーミルは返事をしなかった。
『ほとんどの医師たちは、患者を治そうとして医者を志す。だが、長年医者をやっていると、初心を忘れてしまうものらしい』医者は続けた。『わたしは思うんだ。医者というものは病気を治すために存在するのであって、報酬はあとからついてくるものであるべきだ。お金をもらうために患者を治すというのは、筋が違うのではないだろうか? そもそも、わたしが苦労して医者になったのは、金儲けのためではなかったはずだ。わたしは、そんな単純な事実さえ忘れていた情けない医者だ』
 そして、クチュリエは言った。『約束して下さい。国に帰ったら、わたしがあなたにしたのと同じことを、誰かにすることを。たった一人でいい。本当に困っている人を助けて下さい。約束できますか?』
 ウラディーミルは涙を流しながら彼の前にひざまずき、彼が自分にしたのと同じ程度の愛を返すことを誓った。
 ウラディーミルが医者になろうと決心したのは、この瞬間だった。アメリカに戻って、医学を勉強しよう。この医者が自分にしたのと同じことを、自分の患者にしよう。そうすることが、彼に対する一番の恩返しになるはずだ。一人でも誰かを助けよう。自分と同じ境遇の人を作らないために。誰かが一人死ぬということは、別の誰かにとって、その人の大切な人が一人奪われることなのだ。愛する人を失う。その苦しみは、自分が一番よく知っている。
 ウラディーミルは、手持ちの全財産を使って妻と娘のために小さな墓を作った。二人を共同墓地に埋葬することはできないと思ったからだ。遺言通り小さな白い石を墓に置いたが、そこに小さな石を置くことしかできなかった。何かを刻むだけの余裕はなかったのである。娘の名前をヒアシンス(Hyacintheフランス語読みでイアサント)にしたのは、イアサント=クチュリエを忘れないためでもあった。
 こうして、無一文になってウラディーミルは新しい人生をスタートさせた。
 彼は、ベアトリスが生きていたときと同じように南へと向かった。リヨンにたどり着いたとき、彼はたまたま立ち寄った本屋で<きづたの家>というタイトルを見かけ、<ル=マガザン>という雑誌を手にした。こうして、彼は連載が終わるまでの間リヨンで働くことになる。同じカフェに半年勤めるというのも珍しいことだったが、おかげで彼は旅費を貯めるほかに、ギュスターヴ=フェランという小説家のことを知ることができた。
 彼は、ギュスターヴ=フェランがヴィトールド=ザレスキーであることを確信し、彼の住むマルセイユにたどり着いたのである。
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