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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第83章

第1512回

 グルノーブル市民オーケストラのメンバーは、月に一度の定期演奏会を行っていた。3月から始まるジュネス=コンクールの最後の調整の時期に当たるこの時期は、例年、ピアノ=コンチェルトを中心とした演奏会になる。出場者の中の誰か一人は登録してきそうな定番のコンチェルトが選ばれることが多い。にもかかわらず、ヴァーク=ブーランジェはソリストのシャルロットにあえてヴァイオリン=コンチェルトを演奏させることにした。
「理由は簡単さ。もし、かの女にピアノ=コンチェルトを演奏させたら、今年もオーケストラ賞は該当なし、といわれるのが恐いからさ」オーケストラの古参のメンバーはそんなジョークを言い合った。シャルロットは、13年のコンクールに優勝し、14年にはオーケストラの一員としてコンクールに参加した。その14年の時は、リハーサルで登録者全員の登録曲を演奏し、そのあげくオーケストラは、出場者でかの女以上の実力の持ち主は一人もいないためオーケストラ賞は該当なし、と決断したのである。
 一方、ヴァイオリニストとしてもシャルロットはステージに立ったことがある。同じ1914年、オーケストラのコンサートマスターの追悼のためのコンサートで、かの女はヴァイオリン=コンチェルトを演奏している。
 今回、シャルロットが選んだのは、そのときと同じヴィエニャフスキーのコンチェルトだった。そして、ブルームの2番のコンチェルトを選曲した。コンサート終了後、シャルロットとオーケストラのメンバーは、ヴィエニャフスキーのコンチェルトを録音することを決めていた。シャルロットにとって、初めてのレコード録音の依頼だった。かの女がその依頼を受けたのは、そのレコードをブリューノ=マルローに聞かせたいと願ったからであった。いや、彼だけではなく、苦しんでいるすべての人のためにかの女は録音しようと決めたのである。できることならば世界中の人たちを慰めたい。かの女は、たぶん、レコードを作るのはこれが最初で最後だろうと思った。子どもが生まれたあとは、二度とステージに立つことはあるまいと思ったのである。かの女は、演奏家としてのキャリアをこれで終わらせようと思った。もし、これから先、自分が音楽に携わっていくとしたら、指導者としてだろうとかの女は思っていた。
 シャルロットは、グルノーブルの人たちにはなじみの存在だった。今回、かの女はシャルロット=ド=サン=メランとしてステージに立った。いまやシャルロット=ザレスカとなっているかの女にとって、その名前でステージに立つのはこれが最後だった。
 その演奏会は、オーケストラの定期会員以外の人たちにとっては、立ち見席を手に入れることさえ困難な演奏会となった。人々は通路にまで座り込み、音が聞こえる範囲に人が詰め込まれた。ヴィトールドとロジェは、奇跡的に座席を確保していた。ホール支配人のエティエンヌ=ロジェのはからいで、シャルロットは5つ座席を確保した。ヴィトールドとロジェが一つずつ席を取り、残りの3枚の券はルブラン家の人々に配った。
 シドニー=ルブランは、赤ん坊の世話をしなければならないからといって、自分の券を子どもの代父に渡した。そういうわけで、ノルベール=ジラールは演奏会に顔を出した。それは、シドニー流の思いやりだった。本当は、かの女もシャルロットの演奏会を見たかった。だが、かの女よりもノルベールの方がその場にふさわしいと思ったのである。
 ノルベールは正装して席に着いていた。彼は、オーケストラのメンバーがステージに出てきて以来、その視線はステージに釘付けだった。
 最初に指揮者のヴァーク=ブーランジェが現われ、ついで白いドレスを身にまとったシャルロットがステージに現われた。
 シャルロットは、いつもの通り落ち着き払った動作でお辞儀をすると、まるで踊りを踊るような優雅さでヴァイオリンをかまえた。その動作を合図にして、ヴァークは指揮棒をおろした。
 長い前奏が終わり、シャルロットは最初の音をゆったりのばすように音楽をスタートさせた。ノルベールは、この曲を何度も聞いたことがある。しかし、今日の演奏は、今までのどれとも違って聞こえた。心からの苦しみの叫び。抑圧された悲しみ。絶望の響き。この音楽がそういった感情からスタートしたのを聞くのは、これが初めてだった。ノルベールは、これがすべて計算されたものだとは気がつかなかった。いや、ヴァーク=ブーランジェやジョゼフ=サヴェルネのような人でない限り、シャルロットが自分の書いたシナリオにしたがって音楽を組み立てているとは思わなかったに違いない。かの女は、ブルームの<パラダイス>の最後の楽章が効果的に聞こえるように、緻密にプログラムを組み立てていたのである。人々は、天使のコーラスを聴いた。天国からのメロディーに涙した。シャルロットは、マルガレータ=レヴィンの壮大な<イエス>に向かって音楽を構築していった。
 音楽が終わっても、誰一人身動きしなかった。人々の魂は、すでに天国にいるかのようだった。彼らは、自分たちが音楽会の会場にいるということを忘れ去り、消えていった音楽の余韻に浸っていた。
 ヴァークは指揮棒を指揮台の上に置き、聴衆の方を振り返った。そして、シャルロットを促し、二人でお辞儀をした。
 人々は天国から帰ってきた。彼らは、ステージの上の人たちに惜しみない拍手をおくった。
 こうして、演奏会は終わった。
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