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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第1章

第16回

 その頃の作曲家たちは、2年前に死んだドイツのリヒャルト=ワーグナーに心ひかれていた。彼らは、フランス風の和声より、ワーグナーの持つ和音、そして構成に心を奪われていたのだった。そうした作曲家はワグネリアンと呼ばれていたが、ワグネリアンたちはワーグナーの曲をフランスに紹介するだけではなく、ワーグナー風の厚みのある和音を使って交響曲やオペラを書いた。ワーグナーは、バイロイトという所に劇場を建てて、自分の「楽劇」といわれる大がかりなオペラを演奏させたが、若いワグネリアンたちの間で「バイロイト詣で」と呼ばれるものまで流行していた。エドゥワール=ロジェは、バイロイトで「ラインの黄金」を実際に見てきた。彼は、ワグネリアンであることを隠そうとはしなかった。そして、それが後にロジェとルブランとの決定的な亀裂となっていくのである。
 メランベルジェは、どちらかというと保守的な人間だった。彼はフランス風であることに固執するということはまったくなかったのだが、リヒャルト=ワーグナーはあまり好きになれなかった。控えめなメランベルジェと、何事にもオーバーで派手なワーグナーとの間に共通点があろうはずはなかった。
 二人とも同年代の作曲家だった。ただし、ワーグナーは世界でも一流の作曲家だったが、メランベルジェはただの一オルガニストにしか過ぎなかったのである。
 エドゥワール=ロジェの「カレー交響曲」と呼ばれるト短調交響曲の初演は、1886年のはじめのことだった。そして、次いでベルナール=ルブランのニ短調、フランソワーズのヘ短調の交響曲がたてつづけに初演された。
 そんななか、メランベルジェは沈黙を守った。彼は、こつこつとオルガン曲を書きためていた。これは、彼の死後「オルガン小品111」として出版され、若いオルガニストたちを養成するためのテキストと位置づけられることとなるのである。
 メランベルジェがオルガン以外の音楽を作曲しはじめたのは、1888年のことである。彼が作曲した最後の室内楽曲となったヘ短調のピアノ五重奏曲には、内容からの連想から「希望」というニックネームが付いた。その曲は、まるで天国からのハーモニーを思わせるものであった。あとになって、弟子たちは口々に言ったものである。
「先生は、天国のことを考えながら、この曲を書いたに違いありません・・・」
 1889年、ピアノ五重奏曲の初演後、メランベルジェはぜんそくの発作を起こして病院に運ばれた。そして、退院した直後、今度は肺炎にかかり、それがこじれてついに亡くなってしまったのである。1890年1月8日のことであった。77歳だった。
 1月10日、サン=マルタン教会で彼の葬儀が行われた。
 メランベルジェは、自分の死後のことは一切オーギュスト=ベローにまかせる、という遺言状をしたためていた。メランベルジェ夫人は、夫の意志に従った。
 こうして、オーギュスト=ベローの手によって、「オルガン小品111」「プレリュード、ファンタジーとフーガ」「小交響曲」「ミサ曲変ロ長調」といった遺作が出版されたのである。
 メランベルジェが亡くなってまもなく、その二人の弟子、ベルナール=ルブランとエドゥワール=ロジェが相次いでピアノ五重奏曲を発表した。どちらの作品も、亡くなった師を悼んで作られたものだった。そのため、2曲とも短調で書かれている。ルブランの曲は「信仰」、ロジェの作品には「愛」というあだ名がつけられた。メランベルジェの作品と対になるものだと考えられたからである。それは、二人にとって、愛する師との送別の言葉でもあった・・・。
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