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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第84章

第1541回

<ギュスターヴ=フェランの懐中時計>は、ヴィトールドが一気に書き上げた作品ではなかった。ヴィトールドは、スタニスラスと遊びながら絵本の原形を考え、スタニスラスが眠ったあとで短編小説を書いていた。彼は知らなかったが、それとは別に、スタニスラスが眠りにつく前に話すとりとめのないようなおとぎ話を、シャルロットは編み物をしながら一緒に聞いていた。そして、ヴィトールドがいないときにそれを文字に書き残していた。シャルロットが書き取った文章を見て、ヴィトールドは驚いた。
 シャルロットは全部で38になった短編小説を3つに分けた。<くさりとピンの会話><短針と長針のお話>というやや長めの作品を除いた36の短編を二つに分けた。ひとつは小さな子ども向けの<時計からの24のおはなし>もう一つは、もう少し長めの<文字盤の12のエピソード>だった。対象年齢をはっきりさせたことから、ヴィトールドは年齢層にあわせて作品を手直しした。
 ある日、スタニスラスは、ヴィトールドが描いた絵をうれしそうに見つめていた。それを見たシャルロットがヴィトールドに訊ねた。
「そういえば、あなたはどうやって文字を覚えたの?」
 ヴィトールドは逆に訊ねた。「きみは?」
「わたしの場合は、文字カードだった」シャルロットは懐かしそうに言った。「床に、アルファベットをひとつずつ書いたカードをてきとうに並べておくの。相手が言った単語と同じものを、きちんと並び替えるのよ。で、間違えたら、罰ゲームは<ごめんなさい>とノートに20回書くの」
 ヴィトールドは唇をゆがめた。「さぞ<ごめんなさい>が上手になっただろうね」
 シャルロットも苦笑した。コルネリウスは、<ごめんなさい>とは書いたが、決してそれを口にはしなかった・・・。
 ヴィトールドも同時に同じことを考えていた。この教育法で、3人の秀才たちが作られたのだ。シャルロット、コルネリウス、そしてドニ=フェリー。ちいさかったシャルロットには面白い遊びだっただろうが、コルネリウスとドニにとってはさぞ苦痛だっただろう。特に、決して<ごめんなさい>を口にしなかったコルネリウスにとっては・・・。
「・・・それより、あなたのほうは? あなたはどうやって言葉を覚えたの?」
「アファナーシイおじいさまだ」ヴィトールドは目を閉じた。やがて、彼は目を開き、話し始めた。「彼は、ぼくが眺めていた絵本を横で読んで聞かせた。同じ話を、何度も何度も。ぼくは、本の内容を暗記してしまった。それが、ぼくが文字を読むきっかけだった。ある日、ぼくは、その絵本を見ながら、おじいさまが読んで聞かせた話を口にした。何度も何度も同じ遊びを繰り返した。やがて、おじいさまは、ぼくの一人遊びに気がついた。ぼくが、絵本の最初の文字を指さしてその文字を読んだとき、彼は誇らしげにぼくを見つめてくれた。ぼくは、それがうれしくって、いろんな本を読んで見せた」
 彼の顔が急にくもった。「・・・だが、彼があんな風にぼくを見たのは、あのとき一度きりだった・・・」
 その表情を見ると、スタニスラスは泣きそうな顔で父親を見つめた。「スターシェック、ぼくのおでぶの天使ちゃん、きみのお母さまを悲しませちゃいけないよ。いいか、これは、男同士の約束だ」
 シャルロットはそれを聞くと、びっくりしたあとで笑い出した。母親の笑顔を見て、スタニスラスも笑い出した。
「さあ、スターシェック、これは<木(arbre)>だ」ヴィトールドはそばにあった紙を手に取った。「こっちは<ヴィオラ(alto)>だ」
 シャルロットはその情景を幸せそうに見つめた。「あら、ヴィオラが先よ」
「そうだな」ヴィトールドがその二つの絵を並べ替えた。「えっと・・・次は・・・」
 ヴィトールドはそうやって、52枚の絵を選んだ。アルファベットのaからzまでの各文字で始まる単語を二つずつだった。本にするにあたっては、単語を48に減らした。時計にちなみ、12で割りきれる数にこだわったためだった。ちなみに、その48の単語は、フランス語版とポーランド語版では別の単語だった。シャルロットはポーランド語で絵本を書くようにと強く主張したのだが、ヴィトールドは自分の息子に言葉を教えたいという当初の目的にこだわった。フランス語版とポーランド語版の両方を出版するというのは、二人の主張の折衷案でもあった。
<ギュスターヴ=フェランの懐中時計>は、この絵本と短編小説集からなる子どものための作品に仕上がった。最初の絵本だけはフランス語版とポーランド語版の両方が同時に出され、ついでドイツ語版が出版された。短編小説はポーランド語版が先に出され、同じ内容のフランス語版が続けて発表された。ただし、ポーランド語版はスイスの読者には需要が少ないだろうと言うことで、初版の100冊のみの出版である。ほとんどがザレスキー夫妻の知り合いの手に渡っただけであった。だから、ポーランド語版はフランス語版のように評判になることはなかった。むしろ翻訳版であるドイツ語版の方が、スイスの読者には評判がよかったのである。
 ポーランド語版<ギュスターヴ=フェランの懐中時計>が広まったのは、皮肉なことに、ヴィトールドの死後のことであった。
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