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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第85章

第1554回

「その言葉を聞いたときの彼の表情を、わたしは今でも忘れることができません。彼の顔に浮かんでいた感情を一言では説明できません。それは、怒りや悲しみではありませんでした。憐れみというのとも少し違います。もし、憐れみだとすれば、その対象はわたしではなく彼自身のように見えました。彼は、誰かに---何かに---失望しているような表情を浮かべていました」
 そう言うと、シャルロットは目を天にあげた。
 エヴァはその言葉を聞き、身をこわばらせた。ピストルを向けられたときシャルロットが言ったという言葉は、かの女にとって衝撃的なものだった。
どうして、わたしを殺さないの? 早くわたしを殺して。わたしは、生きていたくありません。わたしを愛してくれる人が一人もいない世界に残るのは嫌。わたしを愛する人たちのところへ、今すぐに連れて行って
 エヴァの脳裏に、うるんだ青い目をしたちいさな女の子が浮かんでいた。そして、そのかの女にピストルを突きつけている兄の姿が。

『生きるんだ。きみは、みんなに愛される女性になり、必ず幸せになれる』

 エヴァの目に涙が浮かんできた。そうだ。そうだったんだ。兄が最後に思い浮かべたのは、この女性のあの表情だったんだ! 彼は涙をためて自分を見つめていた少女に、本当はこう声をかけてあげたいと思っていたのだ。だが、彼にはその言葉が言えなかった。なぜならば、その直前に《かの女を愛する人たち》をかの女から取り上げてしまったのは、ほかならぬ彼自身だったからだ。彼には、はじめからあの少女を殺すつもりはなかった。かの女にピストルを向けたのが一度だけではなかったにせよ。今では、エヴァもそれを確信していた。
『この世界に、きみを愛している人が一人もいないなんて嘘だ。きみは多くの人から愛されている。そして、これからだって、たくさんの人たちに愛されて生きていくんだ。そして、きみは必ず幸せになれる。はじめから、きみを殺すつもりはなかった。きみが助かってくれて、本当によかった・・・。こんな目に遭わせてすまなかった』・・・彼は本当はそう言いたかったに違いない。もしかすると、かの女に対してもっと強い気持ちを持っていたかも知れない。たとえば、恋愛感情に近いような・・・。
 兄は死んだ。たった19年の生涯に、たった一人の恋人も持たないまま。
 いや、違う。この女性の存在が、彼にとってたったひとつの心の支えだったのかも・・・。
「・・・口を開いたとき、彼の口調は穏やかでした。相手が彼でなかったら、優しく声をかけられたと思うところでした。彼はこう言いました。『俺にはできない・・・あんたの命まで奪うことは・・・俺は、二度とあんたの前には現われないよ。安心して生きるんだな』そう言うと、彼は馬にまたがり、走り去っていきました。少しして、彼の去って行った方角から助けが現われました。わたしは、彼らの姿を見るなり、気を失いました。意識を取り戻したとき、わたしは病院にいました」
 こう言うと、シャルロットは、涙ぐんでいるエヴァの手を握りしめて頭を下げた。
「ありがとう。あなたのお兄さまのおかげで、わたしはこうして生きています。わたしは、彼に感謝しています。彼がピストルを引っ込めなかったら、彼が助けを呼んでくれなかったら、わたしはこうしてここにいることはできませんでした。ありがとう」
 エヴァは何も言わなかった。いや、何も言えなかった。
 ヴィトールドも、シャルロットにここまで詳しい話を聞いたのはこれが初めてだった。思い出話が終わったとき、ヴィトールドもエヴァに対し、深々と頭を下げた。
「きみのお兄さまに感謝している」ヴィトールドも優しい口調で言った。「彼は、妻の命の恩人だ。そして、きみは、恩人の妹だ。恩人に礼を言えない分、きみに感謝の念を伝えたい。いや、いつか言おうと思っていた・・・きみと知り合ってからずっと・・・」
 エヴァはその言葉を聞くと、涙にぬれた目でヴィトールドを見上げた。それでも、かの女は何も言えなかった。ただ小さく首を振っただけだった。
 モジェレフスキーは冷ややかなまなざしをヴィトールドに向けた。そうだ、ヴィトールドは以前に言ったことがあった。エヴァに親切にした理由は、エヴァが好きだからではない。自分が好きな女性の命を助けてくれた人の妹が不幸になるのを見ていられないのだ、と。それはこういうことだったんだ。モジェレフスキーには今はじめて、あのときヴィトールドが彼に言った言葉の意味がわかった。しかし、優しくされた方の女性は、そういうこととはつゆ知らず、ヴィトールドに友情以上の気持ちを抱いてしまった。ヴィトールドは、知らず知らずのうちに彼の大切な女性を傷つけたのだ・・・。
 モジェレフスキーは、最後にシャルロットの方を見た。シャルロットはすべて話し終え、どこか悲しそうにほほえんでいた。
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