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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第87章

第1581回

 ザレスキー夫妻は、子どもの誕生を心待ちにしていた。ヴィトールドは生まれてくる子どものために新しい子ども部屋を用意し、自分で壁紙を貼り替えた。さらに、慣れない手つきでベビーベッドまで作った。子供服をはじめ、身につける品物を自分で選んだ。彼が子どものためにそこまでしたのは初めてのことだった。彼は、そこまでして女の子の誕生を待ち望んでいたのである。
 1924年1月10日。
 ヴィトールドは、赤ん坊が産声を上げた次の瞬間、部屋に飛び込んでいた。お産の手伝いをしていたフェリシアーヌ=ブーレーズが子どもを洗い終え、タオルにくるんだとたん、子どもは彼の腕の中にいた。
「元気な男の子だよ、ギュスターヴ」リオネル=デルカッセは、子どもの父親にそう告げた。
 ヴィトールドの身体は一瞬硬直した。「・・・男の子?」
 フェリシアーヌもうなずいた。「ええ、男のお子さまです」
 ヴィトールドはシャルロットの方に視線を向けた。シャルロットも困惑したようにヴィトールドを見つめ返していた。ザレスキー夫妻のどちらも、子どもは女の子だと信じていた。二人とも、リオネルの言葉に戸惑いを感じた。彼の言葉の意味が理解できるだけの時間が流れた後、ヴィトールドの顔に落胆の色が浮かんだ。まさか。そんなことって・・・。
 深い落胆から立ち直れないまま、ヴィトールドは生まれてきた子どもをピンクを基調としたベビーベッドに寝かせた。彼は、以前に見た母親の夢のことを考えていた。女の子が生まれてくるのだとばかり思っていた。かの女は、それを示唆したのではなかったのか?
 シャルロットは、あの夢の本当の意味を探ろうとした。夢の中に出てきた彼の母が暗示していたのは、今生まれてきた子どもの死ではなかった。30歳でこの世を去るのは、いずれ生まれてくる女の子---次の子どもか、その次の子かはわからない---のことだろう。近い将来、自分はもう一度出産することになるだろう。運命の女の子を・・・。
 短い生涯を予言された女の子。自分たちは、今度こそその女の子にクラリスと名付け・・・。
 そのとき、赤ん坊が激しく泣き出した。ヴィトールドは悲しみを込めて子どもを見つめていた。
「・・・トールディ?」シャルロットはヴィトールドにそっと声をかけた。「子どもをちょうだい。おなかがすいているみたいなの」
 ヴィトールドは反射的に子どもを抱き上げ、シャルロットに渡した。そして、シャルロットが子どもに乳を与えている様子をじっと見つめた。まるで、聖母子像を見ているようだ。たぶん、自分の母親も、こんなふうに自分を抱いてくれたのだ。よく覚えてはいないが、かの女を知る人は聖母のような女性だったと口をそろえて言っていたものだ。夢の中に出てきたかの女は、美しい青い目と同じ色をしたマントを着ていた。もしかすると、本当に聖母だったのかも知れない。そして、かの女は自分にロザリオを手渡した。
 30しか玉のないロザリオを。
 ヴィトールドははっとした。彼には突然わかった。なんということだろう。母が言っていた<娘>というのは、かの女自身の義理の娘、つまり、シャルロットのことだったのだ。あのとき母が暗示していたのは、娘の誕生ではない。ぼく自身の死だったのだ! 自分は、来年、30歳の誕生日を迎える。人生で最後の誕生日。この世に最愛の妻と息子たちを残して、自分はステージから去るのだ、人生というステージから・・・。そして、自分には、自分の娘の顔を見る機会はないのだ・・・。
 そのとき、子どもはヴィトールドの方に顔を向けた。子どもの不機嫌そうな目を見つめ、彼は思った。生まれたばかりの子どもを抱くのはこれが最後なのだ。一度は女の赤ん坊を抱いてみたかった。クラリス=ザレスカと名付けられるはずの子どもを・・・。
 そうだ、自分が生きている間は、この子を女の子だと思って育てよう。自分にとっての最後の子ども。オーギュストは反対するだろうが、1年くらい子どもの性別を無視したところで、長い目で考えればさほど影響もあるまい。
「ぼくのちっちゃな子ネコちゃん」ヴィトールドは子どもに優しく話しかけた。「たくさん食べて早く大きくなるんだ」
 シャルロットは、不思議そうにヴィトールドを見た。彼が使ったのは、女の子に対する呼びかけだったからだ。
「おまえの名前は、ルドヴィーク---ルイ=リオネル=フェリシアン=ザレスキーだ。出産に立ち会った人たちにちなんだ名前だ」ヴィトールドは全員の前でそう宣言した。「リオネル、フェリシアーヌ、どうかこの子の名付け親となって欲しい」
 フェリシアンと呼ばれるようになったこの男の子は、ほんの赤ん坊の時から普通の男の子とはどこか違っていた。車のおもちゃとぬいぐるみがあると、ぬいぐるみを選び、おとなしく<ままごと>のような遊びに興じた。シンプルな洋服より、フリルのたくさんついた服が好きだった。母親が着るような長いスカートを欲しがった。いくら本人の希望だとは言え、オーギュスト=レヴィンはその子の教育に不満を持った。しかし、いくらオーギュストが男の子の服を着せ、ほかの男の子たちのサークルに入れても、フェリシアンはそのグループになじむことは出来なかった。自分が女の子として育っているオーギュストにとっても、こうしたことは意外だったらしい。彼にとって、女の子として生きることは強制されたことだった。しかし、このちいさな子どもは、その生き方を自分で選び取ったらしい!
 ヴィトールドは、いつしか、母親が夢で語った<娘>というのは、フェリシアンのことだと思い始めていた。
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