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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第87章

第1584回

 1925年に入ってまもなく、今度はロジェが風邪をひいた。シャルロットは、子どもたちの後はロジェの看病に追われることとなった。彼の病状には波があり、熱があがったり下がったりを繰り返した。
 ロジェは、自分の作品の完成を急いだ。その頃には、彼の未完成の作品は<愛の死>だけになっていた。ロジェもシャルロットもあえて触れなかったが、それがロジェの最後の作品であることは二人とも承知していた。
《その日、枕元にやってきた友人が言った。『何か、朗読しましょうか? それとも、何か歌いましょうか?』それに対して、フレデリックは答えた。『いや。朗読はいい。歌ってくれないか・・・あの歌を』彼が所望した音楽は、<イゾルデの愛の死>だった。》
 シャルロットはそこまで書くと、顔を上げ、ロジェを見つめた。「・・・フレデリックは、自分のメロディーを聴きたいと望まなかったのかしら?」
 ロジェは言った。「病床のショパンは、自分の歌ではなくモーツァルトを聴きたい、と言ったそうだ。だが、ぼくのショパンは、50年遅く生まれてきた。モーツァルトよりワーグナーの影響を受けて成長した。そして、恋をした・・・」
「・・・決して報われない恋を」シャルロットはつぶやいた。
 ロジェの小説の主人公たちは、ほぼ一人残らず報われない恋に生きた。ただし、<愛の死>の主人公は、ロジェのこれまでの小説とは違い、自分の弟の恋人に恋をしたのではなかった。主人公フレデリックは、フレデリック=ショパンとアルトゥール=ド=ヴェルクルーズとオーギュスト=ド=マルティーヌとロジェ自身を足して4で割ったような人間である。だが、ロジェが思い描いていた主人公は、その4人にフリードリッヒ=フリーデマンを足して5で割った---いや、その4人の誰よりもフリードリッヒ=フリーデマンの影響を受けた---人間だった。シャルロットは、フランスに来てからのフリードリッヒ---かの女にとってはフリーツェック---の半生をほとんど知らない。興味がなかった、というより、興味を持つ余裕がなかったという方が正解だろう。しかし、ロジェは、あのクリスマス前夜---ドクトゥール=ド=ラ=ブリュショルリーにとって研究所最後の<家族の日>---にコルネリウスを助けたポーランド人のことを忘れたことはなかった。ロジェにとって、彼は興味深い人間だった。ロジェは、あの後彼がフランスを去ってドイツに行き、そこでも名声を得たことを知っていた。あえて確認したことはなかったが、シャルロットが現在のフリードリッヒ=フリーデマンのことを知っているとは考えにくかったし、今も彼がモデルだとは気づいてはいないようだ。そもそも、シャルロットは、自分が<愛の死>のヒロインだということにも気づいていない。かの女は、エミリー=ド=マルティーヌがモデルだと信じているようだ。確かに、そんな一面がなくはないのだが・・・。いや、かの女にそう思わせるように仕向けていた、というほうが正解だろう。口述筆記をしてくれる相手に、その仕事を断わられるようなことをあえてする必要はない。
 シャルロットは、そう言うと、書きかけの原稿の方に視線を戻した。そして、彼が続けるのを待った。
 ちょっとの間、沈黙が訪れ、シャルロットは再びロジェの方を見た。ロジェは目を閉じて、何か考え込むような表情をしていた。
 シャルロットの視線を感じ、彼は目を開けた。そして、ワーグナーの旋律をちいさな声で口ずさんだ。びっくりしたような表情を浮かべているシャルロットに、彼はほほえみかけた。
「・・・どうかしたの?」ロジェは優しく訊ねた。
 シャルロットは答えた。「あなたが歌うのを聞いたのは、初めてじゃないかと思って」
 ロジェは笑い出した。「まさか、いくらなんでも。わたしは、これでも、あのフランショーム一族だぞ」
 シャルロットはほほえんだ。「そうだったわね。あなたは、いつでも、文字で音楽を演奏していたわ。でも、本当に声を出して歌うのは珍しいんじゃないかしら?」
「そうだな」ロジェはうなずいた。「声に出す必要はなかったな。それは、いつも、ミューが代わりにやってくれた」
 二人の間に、再び沈黙が訪れた。
「・・・ミューと仲直りしてもらえないかな?」ロジェは突然そう言った。
「喧嘩をしているのは、わたしじゃないわ」シャルロットは答えた。
 ロジェはにやりとした。「それは知っているよ。だけど、仲を取り持つことはできるだろう?」
 シャルロットは肩をすくめた。
「いや、きみにしかできないと思う」ロジェは真面目な顔をした。「・・・彼には、わたしの葬儀に参列して欲しいしね」
 シャルロットは驚いて彼を見つめた。
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