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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第89章

第1630回

 少し沈黙した後、ジェルメーヌは続けた。
「そのとき、部屋に二人の女性---アレクサンドリーヌさまとクラリスさまだった---が入ってきたの。あのとき、お二人ともお子さまが生まれる直前だったわ。家政婦長は、わたしのことをお二人に話したの。アレクサンドリーヌさまは、『家政婦長が言うとおり、今は人手が足りているわね』とお答えになったわ。だけど、隣にいたクラリスさまは、わたしが抱いていた子どものことが気になったらしく『お願い、この方をわたしに預けてちょうだい。こんなにちいさな子どもさんがいる女性では、どこかほかに行ったとしても、すぐに働ける仕事を探すのは難しいわ。せめて、子どもさんがもう少し大きくなるまでここに置いて。そうだわ、わたしの子どもの乳母として雇うのはどうかしら?』---その言葉で、わたしは救われた。わたしは、この屋敷に残り、クラリスさまのお子さまが生まれるまでは、付添の女性のような仕事をして暮らしたの。クラリスさまは優しい方だった。しばらくの間、わたしはここに来て本当に良かったと思ったわ・・・それは、つかの間の幸せだったけど・・・」
 そう言うと、ジェルメーヌは下を向いた。
「クラリスおばさまの---母アレクサンドリーヌの---赤ん坊が不慮の事故で亡くなったから?」スティーヴンが訊ねた。
 ジェルメーヌはもう一度顔を上げた。
「違うわ。あれは、事故じゃなかった・・・」その言葉は途中で途切れた。
 スティーヴンは、ジェルメーヌのおびえたような表情を見て、かの女の見ているものを見ようと振り返った。
 そこに立っていたのは料理人のミシェル=ルノワールだった。彼の右手には、包丁が握られていた。
「ルノワールさん、あなたは台所以外でもそんなものを使うんですか?」スティーヴンは料理人に優しく訊ねた。
「うるさいっ!」ミシェルは低い声でどなった。「おまえたちみんな死んでしまうといいんだ!」
 そう言うなり、彼はスティーヴンめがけて突き進んだ。
「だめ!」ジェルメーヌは、とっさにスティーヴンとミシェルの間に体を割り込ませた。包丁はジェルメーヌの左胸に刺さった。
 ミシェルは包丁を引き抜くと、もう一度スティーヴンを狙った。リオネルはミシェルの後ろに回り彼を押さえ込んだ。
 一方、スティーヴンは倒れているジェルメーヌの方にかがみ込んだ。
「大丈夫ですか、マダム?」スティーヴンはジェルメーヌに声をかけた。
 その声に反応して、ジェルメーヌは薄く目を開けた。口を開こうとして咳き込むと、開いた口の間から血が流れ出た。かの女はもう助からない、スティーヴンはそう思った。
「ジェリーは必ず助けます。そして、彼の本来の身分にふさわしく育てます。誓います」スティーヴンはかの女の耳元でささやいた。
 ジェルメーヌはスティーヴンの右手を握りしめ、力なくほほえんだ。一瞬のち、かの女の呼吸は止まっていた。
「そうだ、あれは事故じゃなかった!」ミシェルがスティーヴンの後ろ姿に向かって叫んだ。「その女が、子どもを殺したんだ!」
 スティーヴンは振り返った。その表情には、これまで誰も見たことがないような怒りが混じっていた。穏やかな彼にしては珍しい表情を見て、その場の誰もが驚いた。
「死者を冒涜したら、わたしが許さない」スティーヴンが低い声で言った。彼はジェルメーヌの遺体をそっと床に置くと、立ち上がって、一気にミシェルとの差を詰めた。
 しかし、ミシェルは彼の怒りを全く意に介せず、冷静な口調で続けた。
「かの女は人殺しだ。このわたしもそうだがな」
 スティーヴンはその表情を崩さないままミシェルに言った。「では、事の次第を説明してもらいましょうか。台所に放火したのはあなたですね?」
 ミシェルはうなずいた。「決行日はかの女には告げていた。奥さまが出産した日の夜、とね。使用人のほとんどが休みになるだろうから、家族を屋敷に近づけるなと警告していた。それなのに、マリーは休みを取らなかった。マルクも家族を助けるために、屋敷に戻ってしまった・・・」
「では、犯行の目的は?」スティーヴンが訊ねた。「いや、動機といった方がいいかな?」
 ミシェルは吐き捨てるように言った。「どっちだってそう変わりはないさ」
 そう言うと、彼は悔しそうに叫んだ。「どうして、あんたが生き残るんだよ? よりにもよってあんたが?」
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