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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第91章

第1672回

 エヴァ=リーベルマン---本名マウゴジァータ=モジェレフスカ---は、冷ややかな表情を浮かべてシャルロットを観察していた。一目見たときから、この女性は亡くなったヴィトールド=ザレスキーの夫人にそっくりだ、とかの女は思っていた。しかし、ザレスカ夫人は火事で亡くなった、と新聞報道で読んだ。かの女は有名人---クラコヴィアクのブローニャとして有名な音楽家---だったから、そのニュースはポーランドの新聞にも載った。このカフェに集まる音楽家たちもその報道を知っていた。だからこそ、ついさっき、マスターがブローニャの話をしたとき、音楽家たちが一様に残念がったのだ。この人たちは、音楽家としてのブローニャを知っている人たちだ。かの女が知っているのは、小説家としてのザレスカ夫人だ。ザレスカ夫人がポーランド語で話をしたのを聞いたことがある。完璧なポーランド語を話す女性だった。ポーランドで子ども時代を過ごしたのだから、ポーランド語を母国語のように話すのは当然だ。あのときの女性と、今目の前にいる女性は、姿形も声もよく似ているが、この女性のポーランド語は完璧ではない。この人の母国語はフランス語に間違いない。しかも、スイス人が話すフランス語だ。その響きは、ローザンヌで生活していたリーベルマン夫人にはなじみのものだった。
 ヴィトールド=ザレスキーとその夫人の間には5人の子どもがいた。火事の時生き残ったのが男女一人ずつ。だが、かの女は3人の男の子の母親だという。もしこのひとがザレスカ夫人だったら、子どもの数が合わない。仮に、生き残った子どもが、噂で聞いたように2人ではなく3人だったとしても、一人は女の子のはずだ。
 どっちなのだ? このひとは、亡くなったと思われているザレスカ夫人なのだろうか? それとも、スイス生まれで、コヴァルスキー氏と結婚してワルシャワにやってきたピアニスト?
 リーベルマン夫人は、どうしても確信できなかった。ザレスカ夫人のような気がするし、全くの他人だとも思える。今度は、夫を連れてこよう。彼もザレスカ夫人に会ったことがある。彼の意見も聞いてみたい。
 そうだ、いいことがある!
 リーベルマン夫人は出し抜けに立ち上がると、一気にシャルロットとの距離を詰め、無防備なまま立っていたシャルロットのほおをたたいた。
「・・・いたいっ・・・」シャルロットは小さな声でそう言うと、たたかれたほおに手を当てた。だが、その表情は一瞬だけゆがんだものの、すぐにもとの表情に戻った。手の跡がつくくらい真っ赤になっているのに、不思議なほど冷静な表情をしていた。
 リーベルマン夫人は「ごめんなさい」とポーランド語で謝った。
 一方、シャルロットの隣に立っていたユーリアは、リーベルマン夫人の襟をつかんで「なにをするのっ!」と叫んだ。ユーリアがリーベルマン夫人に詰め寄ろうとしたのを見て、シャルロットは慌ててユーリアを引き留めた。
「あなたは、間違いなくスイス人だわ」リーベルマン夫人も冷静に言った。「人間は、とっさのときには、本能的な反応をするものだわ。あなたがとっさに口にした言葉は、フランス語だった。もし、あなたが違った反応をしたら---あなたが、ポーランド語で叫んだら、わたしはあなたを別のひとだと思ったことでしょう。でも、あなたは、わたしの知っている女性ではなかった。こんなことをしてしまってごめんなさい・・・」
 ユーリアは真っ青になっていた。「たとえ、この女性が、あなたが殺したいと思ったひととそっくりだったとしても、やりすぎよ、エヴァ」
「わかってる。本当にすみませんでした」リーベルマン夫人は二人に謝った。
 リーベルマン夫人が心から謝罪していることがわかったので、シャルロットは謝罪を受け入れた。
「もう、二度とこんなことをしないでくださいね、マダム=リーベルマン」シャルロットはわざとフランス語で言った。
 その場の緊張感は、それでもなくならなかった。あまりにも突然の出来事だったので、人々はまだ何が起こったか完全に把握できていないようだった。
 マスターは立ち上がり、シャルロットに言った。
「そうだ、こうしよう」マスターが言った。「クリーシャ、ここでピアノ弾きのアルバイトをするのはどうだろう?」
 ユーリアはびっくりしたようにマスターを見た。
「わたしは、かの女の演奏を何度でも聴きたいが、まさかただで弾いてもらえるとは思えないんでね」
「もちろん、お金をいただくつもりはありません。ここはコンサート=ホールではないのですから」シャルロットは言った。
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