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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第92章

第1677回

 ただ、気がかりなことはあった。ボレスワフスキーは、初恋の人そっくりな女性と結婚した。その相手が亡くなった直後に、初恋の人本人が目の前に現れてしまった。もしも、シャルロットがライモンドと偽装結婚していることを知ったら、ボレスワフスキーはどうするだろうか?
「・・・どうしたの、難しい顔をして?」ユーリアは夫のところに戻ってくるなり、顔をしかめた。
「思い出していたんだ、それだけだよ」ルドヴィークはコーヒーを飲み干すと、マスターにカップを差し出し、振り返った。
 小説家たちのテーブルでは、まだ話が続いていた。ボレスワフスキーの思い出話が一段落したあと、そのテーブルの話題は、思い出話と言うよりは、小説家たちの話のようだった。ルドヴィークにとっては知らない名前が続出する、おもしろくもない話題だ。ルドヴィークは、話の内容がわからないのをいいことに、人物観察を始めた。エヴァ=リーベルマンが話をしていた。リーベルマンは赤らんだ顔をして相づちを打っていたが、どことなく上の空である。だが、リーベルマン夫人は話に夢中で、まったくそれには気づいていない。シャルロットは興味深そうにその話を聞き、ときおりにっこりと頷く。その表情を見て、ボレスワフスキーはうっとりとしている。彼の表情はシャルロットからは見えない。それをいいことに、ボレスワフスキーは話を聞いているふりをしながらシャルロットのことを考えているようだ。彼が上の空なのは、彼と一緒に育ったルドヴィークにはよくわかる。いや、この場にいる人間では、ルドヴィークにしかわからなかったろう。
 クリモヴィッチ家の男の子たちは、全員がみなしごだという共通点を持っていた。誰一人として、クリモヴィッチ夫妻と親戚関係にある人間はいなかった。ほぼ全員が天涯孤独の身の上だった。そして、彼らのもう一つの共通点は、音楽の才能があると言うことだ。成長した後、彼らの全員が音楽家になり、華やかなステージに立った。だが、生まれ持った性格は変わらない。一番年下だったボレスワフスキーは昔からおとなしい男の子だった。いったんピアノの前に座ると、感情のこもった細やかな演奏をするくせに、楽器を演奏していないときには、どんな気持ちでいるのか他人にはよくわからなかったほどだ。表情を顔に表すことが極端に少なく、自分から話をすることがさらに少ない子どもだった。一番彼と親しかったブラッソンでさえ、彼の無表情の仮面の内側を完全に理解していたとは言えないだろう。それでも、クリモヴィッチ家で育った元子どもたちは、ほかの人たちに比べればボレスワフスキーの考えが読み取れた。ボレスワフスカ夫人亡き今では、たぶんユーリアが彼の一番の理解者だろうが、ルドヴィークも多少は彼の気持ちが理解できると思っている。
「・・・それじゃ、ギュスターヴ=フェランをご存じ?」エヴァはシャルロットに訊ねた。
 シャルロットはにこにこしながら答えた。「聞いたことがあるような気がするんですが・・・」
「本名はヴィトールド=ザレスキー。元大佐だとか・・・」エヴァが言いかけると、シャルロットはぱっと顔を輝かせた。
「ザレスキー元大佐?・・・ああ、そうでしたね」
 リーベルマン夫妻は顔を見合わせた。
「ヴィトールドさんのことなら、存じております。夫の遠い親戚でした。小説家だったという印象があまりなかったので、ペンネームと本名を結びつけるのに時間がかかってしまいました」シャルロットはそう言うと、顔をくもらせた。「戦場では砲弾の中、勇敢に戦って生き延びた戦争の英雄が、たった一台の自動車のために亡くなられたんですよね」
「戦争の英雄?」エヴァは首をかしげた。「それでは、彼が将軍になり損ねたというのは、本当のことだったの?」
 シャルロットは頷いた。「彼は、フランスの士官学校を卒業したエリート軍人でした。戦場で多くの武勲をたてて、あの若さで異例とも言える出世をしたので、戦争が終わったあと、ポーランド陸軍が彼に将軍職を提示して退役を引き留めようとしたそうです」
 リーベルマン夫妻はもう一度顔を見合わせた。
「ですが、彼はこう言って将軍職を蹴ったそうですね。『これからは、平和に暮らします。かりに人を攻撃しなければならなくなったときでも、ペンよりも重いもので攻撃することはしません』と。立派な決意だと思います」シャルロットが言った。「わたしは、小説家としての彼をよく知りませんが、息子たちは彼の作品をよく知っています。あの子たちは、《ギュスターヴ=フェランの懐中時計》でポーランド語を覚えようとしています」
「《ギュスターヴ=フェランの懐中時計》?」ユーリアは再び彼らの会話に口をはさんだ。「そんな絵本があったなんて知らなかった。うちの娘にも読ませてみたいわ」
「《懐中時計》にポーランド語版があったとは!」ベルク博士が驚いて言った。「あの作品は、彼の息子がフランス語を覚える目的で書かれたと聞いた。ポーランド語版出版の話は、現在進行中のはずなのだが」
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