しかし、口を開いたのはシャルロットだった。
「これは、わたしの大切なお友達からの<遺言状>です」
その言葉を聞いた二人は、同時にシャルロットの方を向いた。
ブレジンスキーは、シャルロットが女王然としてそこに立っているのを見て驚いた。驚いているのはブレジンスキーだけではなかった。そのような態度を取ることを<許されて>いるのは、この場ではユーリア=レーベンシュタイノヴァだけのはずだった。常に輝いているユーリアの隣にひっそりと咲いている可憐な花・・・ここでは、シャルロットはずっとそんな存在で通していた。そのかの女が、今はユーリア以上に堂々と立っている。
「あなたは、この作品を<陳腐だ>と言おうとされたのでしょうが、そんな侮辱は許しません。いいえ、言おうとしたことそのものに謝罪を要求します」シャルロットは低い声で男に言った。それはフランス語だったので、必ずしも場内全員に通じるかどうかわからなかった。
男は、その言葉を聞くと一瞬考え込むような表情を見せた。しかし、それは、彼にフランス語が通じなかったからではないということは、彼の次の言葉で証明された。
「考えることそのものに謝罪が必要とは」彼は流ちょうなフランス語で言った。「この国では、思想の自由は保障されていないのかな?」
シャルロットは表情を崩さずに答えた。「あなたがわたしたちにけんかを売ろうとすることに反対なだけです。今、ここでけんかした所で、何かいいことがあるとは思えません。ですから、少し頭を冷やしてください」
男の唇の端がゆがんだ。「いい演奏だった。その余韻を消したくない。今すぐ頭を冷やすことはご容赦願いたい」
シャルロットはぱっと赤くなった。
「フランスで学ばれたのですね」彼の口調は一転して柔らかくなった。「すばらしい演奏だ。今度は是非、わたしの作品を演奏してもらえないでしょうか?」
その言葉が理解できる人間は、一様に目を丸くした。
「わたしにも、以前作曲してそのままお蔵入りになっているヴァイオリン=コンチェルトがあります」彼は優しい口調で続けた。「幼い頃からずっとあこがれていた女性が亡くなったと聞いて作曲したものです。かの女は、とてもヴァイオリンが得意でした。作品ができあがったとき、周りにいる人たちがぜひ出版するようにと勧めました。ですが、わたしはその作品を演奏会で取り上げるまでは出版したくないと答えました。その噂を聞いたあるオーケストラの支配人から、ぜひ自分のところで初演して欲しいと申し出がありましたが、わたしは、初演のステージに立つ理想のソリストが見つかるまでは演奏会は行いませんと答えました。これまで、知人たちが何人ものヴァイオリニストを推薦してくれましたが、わたしの理想に合う人間は一人もいませんでした。ところが、その理想のヴァイオリニストが、今、わたしの目の前にいます」
シャルロットは思わずピアノの方に視線を向けた。その視線の先にはボレスワフスキーとブレジンスキーが立っていた。ボレスワフスキーはフランス語を解したので今の会話に目を丸くしていたが、フランス語が得意ではないブレジンスキーは憮然とした表情のまま立っていた。
シャルロットは小さくため息をつき、もう一度彼に視線を戻した。
「この場には、ヴァイオリニストは一人もいません」
「ひとり、いるでしょう、わたしの目の前に」彼は優しく言った。そして、あたりを探そうとしているシャルロットに言った。「アマーティのヴァイオリンを持っている人のことです」
シャルロットはマスター---ヴァイオリンの持ち主---の方に視線を向けた。「・・・そうですね、ひとり、いましたね」
マスターは目を丸くして言った。「彼が言っているのは、<今>わたしのヴァイオリンを持っているひとのことだと思いますよ」
「・・・かの女は、ヴァイオリニストではありませんよ」
そう言うと、シャルロットは男性にくるりと背を向け、ゆっくりとヴァイオリンを片付け始めた。
その間、ボレスワフスキーは今の会話をブレジンスキーに小声で通訳し始めた。話を聞いても、ブレジンスキーはまだ硬い表情を崩さなかった。
シャルロットは、ゆっくりとピアノに近づき、ヴァイオリン=ケースを元の位置に戻した。
「これは、わたしの大切なお友達からの<遺言状>です」
その言葉を聞いた二人は、同時にシャルロットの方を向いた。
ブレジンスキーは、シャルロットが女王然としてそこに立っているのを見て驚いた。驚いているのはブレジンスキーだけではなかった。そのような態度を取ることを<許されて>いるのは、この場ではユーリア=レーベンシュタイノヴァだけのはずだった。常に輝いているユーリアの隣にひっそりと咲いている可憐な花・・・ここでは、シャルロットはずっとそんな存在で通していた。そのかの女が、今はユーリア以上に堂々と立っている。
「あなたは、この作品を<陳腐だ>と言おうとされたのでしょうが、そんな侮辱は許しません。いいえ、言おうとしたことそのものに謝罪を要求します」シャルロットは低い声で男に言った。それはフランス語だったので、必ずしも場内全員に通じるかどうかわからなかった。
男は、その言葉を聞くと一瞬考え込むような表情を見せた。しかし、それは、彼にフランス語が通じなかったからではないということは、彼の次の言葉で証明された。
「考えることそのものに謝罪が必要とは」彼は流ちょうなフランス語で言った。「この国では、思想の自由は保障されていないのかな?」
シャルロットは表情を崩さずに答えた。「あなたがわたしたちにけんかを売ろうとすることに反対なだけです。今、ここでけんかした所で、何かいいことがあるとは思えません。ですから、少し頭を冷やしてください」
男の唇の端がゆがんだ。「いい演奏だった。その余韻を消したくない。今すぐ頭を冷やすことはご容赦願いたい」
シャルロットはぱっと赤くなった。
「フランスで学ばれたのですね」彼の口調は一転して柔らかくなった。「すばらしい演奏だ。今度は是非、わたしの作品を演奏してもらえないでしょうか?」
その言葉が理解できる人間は、一様に目を丸くした。
「わたしにも、以前作曲してそのままお蔵入りになっているヴァイオリン=コンチェルトがあります」彼は優しい口調で続けた。「幼い頃からずっとあこがれていた女性が亡くなったと聞いて作曲したものです。かの女は、とてもヴァイオリンが得意でした。作品ができあがったとき、周りにいる人たちがぜひ出版するようにと勧めました。ですが、わたしはその作品を演奏会で取り上げるまでは出版したくないと答えました。その噂を聞いたあるオーケストラの支配人から、ぜひ自分のところで初演して欲しいと申し出がありましたが、わたしは、初演のステージに立つ理想のソリストが見つかるまでは演奏会は行いませんと答えました。これまで、知人たちが何人ものヴァイオリニストを推薦してくれましたが、わたしの理想に合う人間は一人もいませんでした。ところが、その理想のヴァイオリニストが、今、わたしの目の前にいます」
シャルロットは思わずピアノの方に視線を向けた。その視線の先にはボレスワフスキーとブレジンスキーが立っていた。ボレスワフスキーはフランス語を解したので今の会話に目を丸くしていたが、フランス語が得意ではないブレジンスキーは憮然とした表情のまま立っていた。
シャルロットは小さくため息をつき、もう一度彼に視線を戻した。
「この場には、ヴァイオリニストは一人もいません」
「ひとり、いるでしょう、わたしの目の前に」彼は優しく言った。そして、あたりを探そうとしているシャルロットに言った。「アマーティのヴァイオリンを持っている人のことです」
シャルロットはマスター---ヴァイオリンの持ち主---の方に視線を向けた。「・・・そうですね、ひとり、いましたね」
マスターは目を丸くして言った。「彼が言っているのは、<今>わたしのヴァイオリンを持っているひとのことだと思いますよ」
「・・・かの女は、ヴァイオリニストではありませんよ」
そう言うと、シャルロットは男性にくるりと背を向け、ゆっくりとヴァイオリンを片付け始めた。
その間、ボレスワフスキーは今の会話をブレジンスキーに小声で通訳し始めた。話を聞いても、ブレジンスキーはまだ硬い表情を崩さなかった。
シャルロットは、ゆっくりとピアノに近づき、ヴァイオリン=ケースを元の位置に戻した。
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