年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第95章

第1742回

 そして、ルドヴィークはユーリアに情熱的なキスをした。その二人の様子は、この世にもはやほかの人間は存在しないかのようだった。このまま放っておいたら、二人はいつまでもキスを続けそうだ、と思ったライモンドは、やや大きく咳払いした。
《なんだよ? せっかくいいところだったのに》と言わんばかりの視線を送ったルドヴィークの腕の中で、ユーリアはとろけそうな表情を浮かべていた。ライモンドがじっと見つめたので、ルドヴィークはユーリアの顔を自分の胸に押しつけた。こんな表情をした妻を誰にも見せたくない、と言わんばかりの態度を見せられて、ライモンドはにやりとした。
 一瞬おいて、ライモンドは沈んだ表情になった。そうだ、この表情だ。シャルロットは、こんな風に自分を見つめたことは一度もない。かの女は間違いなく自分を愛してはいなかった。彼は、うなされているシャルロットの表情に視線を移し、失恋したもう一人の男性のことを思った。それから、彼は《タデック》へ頭を切り換えた。
「かの女は、自分の過去と向き合うのを恐れていた」ライモンドは突然話を戻した。「わたしと初めて会ったときもそうだった。ヴィテックが亡くなる前、彼はクリーシャに、彼が死んだあとで誰かと再婚したいかと訊ねたそうだ。クリーシャは、自分は決して再婚しないと答えたそうだ。そのとき、クリーシャの方は、その質問を一般論だと思っていた。心の底では、かの女は別の男性と再婚する可能性を考えていた、だろうと思う。もし、彼ではない別の人間が、ヴィテックが死んだあとになってから、『それでは、きみは誰と再婚したい?』と訊ねたら、かの女の答えは違っていただろう。彼からその質問を受けたとき、かの女は、ヴィテックだけには本当の気持ちを答えてはいけないと思ったそうだ。ヴィテックは、かの女の模範解答を真に受けた。そして、彼はかの女をわたしにゆだねたのだ。わたしたちは、はじめから間違えていた。わたしは、かの女を正しい相手にゆだねたいのだ。その相手は、タデックなのだろうか? それともフリーツェックなのだろうか?」
 ユーリアはルドヴィークの腕の中でかすかに震えた。
 ルドヴィークは真剣な顔になった。「なぜ、自分だとは思わないのだ?」
「わたしは、もう長くは生きられない。かの女を再び未亡人にするために結婚するのは、正しいことではないからだ」ライモンドの顔は苦悩でゆがんだ。「何よりも、かの女はわたしを愛してはいない」
「わかっているのなら、ヴィテックと同じ間違いを犯すな」ルドヴィークが言った。「かの女に選ばせるんだ。干渉してはいけない」
 ライモンドは下を向いた。「わかっているさ・・・だが、残念ながら、どちらもかの女にふさわしいとは思えないんだ・・・」
 ユーリアは赤らんだ顔をライモンドに向けた。「フリーデマン氏はともかくとして、タデックがかの女にふさわしくないと思うのはどうしてかしら? まさか、タデックに嫉妬しているからじゃないわよね?」
 ライモンドは小さな声で言った。「まさか」
 ユーリアはふん、というような音を出して黙り込んだ。
「クリーシャは、決してステージに立ちたいとは思っていなかった」ライモンドが言った。「かの女が決心したのは、フリーデマン氏が必死に説得したからでも、脅迫されたからでもない。幼なじみの頼みを断り切れなかったからでもない」
 そう言うと、彼は小声で言った。「これから話すことは、決して誰にも言わないと誓って欲しい」
 二人が同意したので、ライモンドは続けた。
「最終的に、クリーシャは、ステージに出ることを決意した。そのとき、かの女はフリーデマン氏に二つの条件を出した。一つは、どんな手段を使ってでも、ボレスワフスキー氏の演奏会を成功させること。もう一つは、自分がそれを頼んだことを、何があってもボレスワフスキー氏に知られないこと・・・」
 二人はぎょっとしたようにライモンドを見つめた。
「かの女がそこまでした以上、フリーデマン氏が話す《タデック》が、ボレスワフスキー氏のことではないと考える要素は何もない、とは思わないか・・・?」ライモンドはそう結論づけ、黙り込んだ。
 ユーリアはかすれた声で言った。「そんな・・・」
 ルドヴィークはユーリアの頭を優しくなでた。
「つまり、かの女は、フリーデマン氏に無言の脅迫を受けたんだな」ルドヴィークが言った。「クリーシャは、おそらく誰よりもフリーデマン氏のことをよく知っている。もし、自分がステージに立たなければ、かの女が出した条件と真逆のことを彼はやる。どんなにいい演奏をしても、タデックの演奏会は大失敗に終わる・・・フリーデマン氏はどんなことをしてでもそれをやり遂げる---今回とは逆に---かの女はそう思ったわけだ」
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