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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第96章

第1762回

 シャルロットがロジェの作品の口述筆記をした当の本人ならば、翻訳作業をするにあたって貴重な意見を聞くことができるだろう。もちろん、非公式にだが。なぜならば、シャルロット=ザレスカがこの世に存在するはずがないとみなが考えているからだ。シャルロット自身も、自分の過去には触れられたくはないだろう。ただ、たとえ非公式であっても、アントーニはかの女の意見が聞きたかった。かの女の解釈を聞きたかった。かの女の口から、ロジェのこの世での最後の日々のエピソードが聞きたかった。
 アントーニは頭を軽く振った。彼は考え事を中断し、後ろを歩いてくる青年のことを考えようとした。青年は無言のまま彼の後ろについていた。彼は考えを切り替えていた。妻が出かけたあと、居間に行っていない。部屋は寒くなっているはずだ。まず暖炉に火を入れ、お湯を沸かしてコーヒーを入れよう。30分は長い。
 アントーニは居間のドアを開けた。そして、タデウシに中に入るよう促した。彼は暖炉に近づき、薪をかき混ぜた。暖炉はぱっと明るくなり、彼は薪を足してからテーブルに戻った。
 タデウシは、暖炉の上の写真を眺めていた。写真は全部で3枚あった。一枚は、数年前のモジェレフスキー夫妻だった。マウゴジャータがベールをつけているので、どうやら二人の結婚式の時の写真らしいとわかる。その写真を真ん中にして、右側には一人の少年の写真、左側には夫婦とちいさな二人の娘たちの写真があった。女の子たちは1~2歳くらいだったが、上の子はどこかマウゴジャータに似ていた。
 アントーニはタデウシが熱心に写真を見ているのを見て声をかけた。
「わたしたちの家族です」アントーニが言った。そして、彼は無言でタデウシに座るように勧め、自分もいすに座った。
「わたしは一人っ子ですが、マウゴーシャには兄と弟がいました。兄の方はすでに亡くなってしまいましたが、弟夫婦はアメリカにいるんです」アントーニが写真の説明をした。
「わたしも一人っ子です」タデウシが言った。「もっとも、わたしは大家族で育ったんですけどね。孤児だったわたしを引き取って育ててくれたのが、ユーリアのご両親でした。クリモヴィッチ家には、わたしと同じような境遇の男の子たちが6人いました。そのうちの一人がルーディで、彼が最年長でした。彼はたくさんの弟妹たちの長兄で、みんなに愛されていました。わたしは、一番下の弟として育ちました」
 アントーニの口元が少しだけ緩んだ。「それでは、あなたも複雑な家庭で育ったんですね」
 そう言うと、彼は続けた。「わたしもマウゴーシャも、平凡な家庭で育った人間ではありません。わたしは天涯孤独の身でしたが、かの女には家庭がありました。たとえどんな家族でも、家族には違いありませんが、わたしもかの女も、ポーランドで幸せに過ごした記憶があまりないことが共通しています。ルーディたちと暮らしていたのなら、あなたもそうなんですね」
 彼は立ち上がり、しばらくして湯気の立つコーヒーカップを二つもって戻ってきた。
「ありがとう」タデウシはコーヒーを受け取りながら言った。「わたしは孤児ですが、天涯孤独の身ではない。血のつながりはないが、兄姉が6人もいる。わたしは<ポーランドで>育ったわけではないが、温かい家庭に迎えられた。たぶん、あなたたちよりは幸せな半生を送ったと思いますよ」
 アントーニは遠い目をした。彼は目の前のカップに視線を戻すと、一口飲んだ。
「わたしは、両親のことを全く覚えていません。一番古い記憶は、教会にあった聖母像の前で祈っていたことでしょうか。わたしは、ケーニヒスベルクで育ち、そこが自分の原点だと思っています。母はとても体が弱いひとで、かの女の病気が治るように、物心ついた頃から父と何度も聖母像の前で祈りました。母の顔は忘れましたが、聖母像の表情だけはよく覚えています。6歳の時、母親が亡くなり、その直後、その女性が自分の本当の母親ではなかったと知らされました。母だと思っていたひとは、母の実の妹で、父だと思っていた人は、本当は母の妹の夫、つまり叔父だったと・・・。そのときから、わたしにとって、教会にあった聖母像が唯一の家族となりました。いいえ、子どもの頃の自分にとって、あの聖母像は恋人の代わりでした」アントーニはぽつりぽつりと話した。「やがて、育ての父も11歳の時に亡くなり、わたしはケーニヒスベルクを去り、スイスに行きました。養父の両親がそこに住んでいたからです。わたしと彼らの間には全く血のつながりはなかったのですが、二人はわたしをたった一人の息子が残した子どものようにかわいがってくれました。彼らは、わたしを正式に養子にして、リーベルマンという彼らの姓を与えました。ですが、アントーニ=モジェレフスキーは、アントン=リーベルマンと呼ばれ始めたとき、急に自分の中のポーランド人の血に目覚めてしまったのです。もちろん、叔父のリーベルマンはドイツ人でしたから、わたしは物心ついたときにはドイツ語を使って生活していました。それなのに、自分がアントン=リーベルマンになったとき、ドイツ語を話す自分に初めて違和感を覚えたのです」
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