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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第97章

第1778回

 そのとき、かの女は出し抜けに悟った。ロジェがずっと心に秘めていた思いを。彼も長い間トリスタンだったのだ。そういえば、彼が料理人になるために修行してきたシェフの元から飛び出してきて、最初に書いた作品<ムーンライト=ソナタ>の主人公の名前はトリスタンだった。そのとき彼は、5年前に死んだと思い込んでいたまたいとこのことを思って小説を書いたと言った。だから、主人公トリスタンは、伝説のトリスタンとは違い、間違えて自分を好きになってしまったイゾルデを突き放したのである。主人公は媚薬を口にしていなかったから。
 しかし、ロジェは確実に酔っていた。
 もしかすると、ロジェはあのときから、自分の最後の作品を<トリスタンとイゾルデ>にしようと決めていたのかもしれない。だとすれば、イゾルデのモデルは自分だったはずだ。だが、あの作品のヒロインは、彼の母親だったはず・・・。
 シャルロットは、作品をもう一度読み直した。もし、自分が彼の背景を全く知らずに作品を読んだとしたら---父親のアルトゥール、その妻ジュヌヴィエーヴ、彼の母親エミリーのことを全く知らないと仮定してその作品に触れたら、何が見えてくるだろう?
 そのとき、ノックの音がした。シャルロットはドアのところに双子が立っているのを見ると、口元に笑みが浮かんだ。かの女がピアノの前から立ち上がると、子どもたちはうれしそうに駆け寄ってきた。
「どこも悪くないんだね? よかった」アレクサンドルがシャルロットに抱きついた。
「朝食に来なかったから、心配しちゃった」ヴィクトールはそう言いながらシャルロットのそばに寄ってきた。シャルロットはアレクサンドルを優しく離し、ヴィクトールを抱きしめた。
「ごめんなさい」シャルロットは、心からの笑みを浮かべて息子たちを見た。近頃、彼らは、自分が愛していた男性たちにさらに似てきていた。アレクサンドルを見ると父親代わりだったドクトゥール=ド=ラ=ブリュショルリーを、ヴィクトールを見ると夫のヴィトールドを---さらにはその祖父のアファナーシイを---思い出すことが多くなった。ライモンドがいなくなった後の心の空洞を、シャルロットは無意識にほかのもので埋めようとしていたのかもしれない。
 シャルロットは「朝食ね」と言いながら歩き出した。
「あっ!」ヴィクトールはうれしそうな声を出した。シャルロットは思わず振り返った。「ロジェおじさまのご本、だよね?」
「モジェレフスキーさんが貸してくださったの」シャルロットは事実だけを述べた。
「ぼくも読んでもいい?」ヴィクトールは期待を込めて訊ねた。「ぼく、もっといろんな本を読みたい。ロジェおじさまのも、パパのも・・・」
「あなたにはまだ早いわ」シャルロットはぴしゃりと言った。「それは、子ども向きの本ではないわ」
 ヴィクトールはそれを聞くとむくれた。「ぼくは、もっともっと難しい本だってたくさん読んだ」
 シャルロットはヴィクトールを優しく抱きしめた。
「そうね、あなたはたくさんの本を読んできたわね。でも、ロジェの本を読むのに必要なのは、人生経験なのよ」シャルロットはそう言ってからヴィクトールの体を離した。「もちろん、あなたはロジェの本を読むことができるでしょう。それだけのフランス語を、あなたは十分に身につけているわ。だけど、その本の本当のメッセージを読み取るには、長い時間が必要なの。わたしだって、今読み直してみて、ロジェが生きていた頃には気づかなかったことがいっぱいあることに気がついたの。子ども向きでない、というのはそういう意味よ。そうね・・・あなたが15歳になったら、ロジェがこの本で何が言いたかったのか、半分はわかるようになるんじゃないかしら。もちろん、それまでに、あなたが心から愛する女性を見つけていれば、の話だけど」
「心から愛する女性なら、今、目の前にいます」ヴィクトールはまじめな顔で言った。
 シャルロットは満面の笑みを浮かべた。「あら、わたしはあなたの妻にはなれないわ。わたしが言うのは、あなたが心から妻にしたいと願う女性のことよ」
 アレクサンドルは一歩前に進み出た。「それなら、ぼくには資格があるよね?」
 シャルロットは今度はアレクサンドルを抱きしめた。「半分、ね」
 そして、かの女は二人をせかして部屋から出た。「さあ、あなたたちは勉強をする時間よ」
 シャルロットは食堂に向かいながら、今度はアレクサンドルのことを考えていた。アレクサンドルの初恋が成就すればいいと思う。だが、シャルロットも気づいていた。マリア=テレージアの方には全くその気がないことに。単に、かの女が精神的に幼いだけならいいのだけれど・・・。
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