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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第97章

第1787回

 当時を知る研究所員は、この夜の出来事を《放蕩息子の帰還》と呼ぶ。この出来事は、彼らにとって特別の意味があることだったからだ。ドクトゥール=ド=ラ=ブリュショルリーは、『直接手をかけなかっただけで、ぼくの父母を殺したのはあなただ』と暴言を吐いて、自分の目の前から去って行った甥のことをずっと気にかけていた。そののち、彼の甥はフィアンセさえ捨てて戦争に行ってしまった。そんな甥が、簡単に自分のところに戻ってきてくれるとは、ドクトゥールにとって予想外の出来事だった。さらに、コルネリウスは、自分をかばって大怪我をしたドイツ人をかばった。つい数日前まで敵として戦っていたはずのドイツ人をだ。
 目撃者の一人はこう言ったという。《わたしたちは、ここにいる者を家族だと思っていたはずだった。ところが、戦争が自分の目をくもらせた。目の前に現れる人間は患者であり、それ以上でもそれ以下でもない。患者に敵味方という色がついているわけでもないし、まして国籍など関係がない。自分たちは長い間そう教えられてきたはずなのに、コルネリウスにそれを指摘されるまで、そんな単純なことさえ忘れていたのだ。しかも、そのけが人は、治外法権(=研究所)の外で、敵であるはずのドイツ人なのにフランス人のコルネリウスを助けた<サマリア人>だ。その患者を救わなかったら、自分は医者としてより、人間として失格だ。あの日の出来事は、わたしたちにそれを教えてくれた。わたしは、あの夜のことを忘れたことはない。》
 そして、その夜その場に居合わせた人間たちには、不思議な連帯感が生まれたのだという。
 あとになって、ロジェと弟のオーギュストは、フリーデマンが研究所に来た本当の理由を聞いた。フリーデマンの初恋の話を聞いた。フリーデマンは、コルネリウスのことを『自分は、決してこの人にだけはかなわない』と評した。ロジェは、そのときから彼に興味を持ったのだという。戦争が終わってからパリに出た彼のことを、パリでの学友でもあったオーギュストを通してずっと注目し続けたらしい。
 そこまで読んだとき、シャルロットは一つの出来事を思い出した。それは、兄のように慕っていたフェリックスの結婚式での出来事だった。シャルロットは、それまで<フレデリック=フリーデマン>がかつての幼なじみのフリーデリック=ラージヴィルだとは知らなかった。たとえ知っていたとしても、悪名高いフリーデマンがあの優しいフリーツェックだとは信じなかっただろう。
 あのとき、フリーデマンは言った。
『ぼくは、ずっときみが好きだった。・・・だが、彼は誠実な人だ。あれほど高潔な人間を、ぼくは外に知らない。あの人ならば、きっときみを幸せにするだろう。・・・そうだ。彼が相手ならば、仕方がない』
 シャルロットは、フリーデマンの言う《彼》が誰を指すのか、今になって気がついた。そのとき一緒に来ていたヴィトールドのことだとばかり思っていたからだ。だが、フリーデマンが、初対面同様のヴィトールドに対してそこまで言い切れるとは、今考えればあり得ないことだった。なぜ、あのとき気づかなかったのだろう?
 シャルロットは真っ赤になって顔を伏せた。そうだ、その言葉のあと、フリーデマンがキスをしたからだ。キスがあんなにすてきなものだとは、あのときまで全く知らなかった。かの女は、あれで判断力が狂ったのだ。しかも、あのあと、全く想像外の騒ぎが起こって、シャルロットはフランソワ=フランショームが引き起こした騒動より前に起こったことを、すっかり忘れ去った。
 今になって思い出すと、ワルシャワで再会したとき、フリーデマンは初恋の人についてこう言っていたはずだ。
『もちろん、かの女には告白しましたとも。ただし、過去形でね。・・・わたしが、評判通りの人間でないことに驚いたのですね? ”聖母以外の女性ならどんな女性だって口説き落とすことができる”とまで噂されるわたしが、《婚約者》の存在だけで初恋の女性を諦めるなんてあり得ない、とお考えなんでしょう? そうですね。今のわたしなら、決して遠慮はしません。かの女があんな風な死に方をすると知っていたら、あのとき(ヴィトールド)からかの女を奪い取っておくべきだった。わたしは、かの女の死からそれを学びました。チャンスの女神には、前髪しかないんです。あのときから、わたしは欲しいものは必ず手に入れることに決めました。欲しいものを、戦わずに諦めることはもう二度とするまいと決めました。・・・わたしは、自分を兄としか意識していない小さな女の子を好きになり、何年もの間その思いを暖めてきました。その女性が幸せになるのならば、と、かの女を他の男性(コルネリウス)にゆだねました。短い人生でしたが、かの女は確かに幸せだったかもしれません。ですが、わたしはそうではない。ずっと心の支えだった女性を失った悲しみを、あなた(ライモンド)なら理解できるはずです。わたしは、かの女の思い出にヴァイオリン=コンチェルトを書きました。心にあいてしまった大きな穴を修復するためには、そうするしかなかったからです』
 フリーデマンがあえてわかりにくい言い方をしたのは事実であったが、よく考えてみれば、《婚約者》と《ほかの男性》がコルネリウス、『あのとき彼からかの女を奪い取っておくべきだった』の《彼》はヴィトールドのことだ。今になってこんなことに気づくなんて、わたしはどんなに鈍い人間だったのだろうか?
 無意識に、とはいえ、わたしはフリーツェックのことをたくさん傷つけてきた。たぶん、これからもそうだろう・・・。
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