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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第98章

第1797回

 親子が遠ざかっていくのを見つめていた二人の背後から、声がした。
「遅くなって申し訳ありません、奥さま」執事のユリアンスキーがそこに立っていた。
「いえ、そんなに長い時間ここにいたわけじゃないのよ」シャルロットは答えた。
「今日は、お手紙の数が多かったものですから、少し時間がかかってしまいました。私信はこちらです」ユリアンスキーは手紙の束をシャルロットに手渡した。「車の中でゆっくりと目を通されるといいでしょう」
 そう言うと、執事はタデウシに挨拶をしようとした。頭を下げ、口を開いたとき、シャルロットはびっくりしたような声を上げた。
「ギュンター=ブレンデル、ですって?」
 その名前を聞き、タデウシもびくりとした。「ギュンター=ブレンデル?」
 シャルロットはタデウシが驚いたような声を出したので、封筒の束から顔を上げた。
「・・・すみません。同姓同名の知り合いがドイツにおりまして」タデウシが言った。
「あら、奇遇ね。わたしの知り合いのギュンターもドイツにいるはずだけど?」シャルロットは首をかしげた。「彼は、純粋なドイツ人ではなく4分の1だけポーランド人だと言っていたわね。でも、そのギュンターがわたしに手紙を寄こすはずはないんだけど。少なくても、今のわたしと---クリスティアーナ=コヴァルスカと彼との間には、何も接点はないはず」
「車にお乗りになってください」ユリアンスキーは、二人の会話をまるで聞いていなかったかのように話を遮り、車のドアを開けた。シャルロットが車の後部座席に乗り込むと、かの女が奥に体を移動したのを『あなたも一緒に来てちょうだい』という無言の合図と受け取り、タデウシが後部座席に乗りこんできた。執事は、二人が乗り込んだのを見届けてドアを閉め、自分は運転手の隣に座った。
 シャルロットは封筒の束をバッグにしまった。タデウシがいるところで手紙を読みたくなかったからだ。彼も自分の過去のことは知っている。ただ、ギュンターが何を書いてきているかわからないのに、彼の前で封を開けることはできなかった。
 タデウシは、何か話さなければならないような気がしてきた。とっさに思いついたのは、さっきの女の子のことだった。
「あの子と、知り合いだったの?」
 考え事をしていたシャルロットは、とっさにどの子のことを言ったのかわからず、困惑したように彼を見た。
「ほら、あの女の子だよ。さっき、ボールを追いかけて飛び出してきた・・・」
 シャルロットは、わかった、という顔で頷いた。
「会ったのは初めてよ。レショフスキー弁護士にお嬢さんがいるという話は聞いていたけど」
 今度はタデウシが驚いた顔をした。
「レショフスキー弁護士、って、あのえん罪事件の弁護士?」
 シャルロットは驚いた顔をした。「あのえん罪事件? どのえん罪事件?」
「外国でも報道されたというのに、ポーランドにいたきみが知らないとは・・・。隣人殺しの罪で誤認逮捕された女性が、裁判で無実が証明された事件だ。レショフスキー弁護士はかの女の国選弁護人だった。裁判のために弁護士費用を出すことができないほど貧しい、戦災孤児で天涯孤独の身だった無実の女性のために奔走した彼を、新聞はこぞって英雄と書き立てた。ポーランドの良心、と外国でも喝采を浴びたんだ。そこまで言っても思い出せないかな?」
 シャルロットは首をひねった。やはり思い出せない。そうだ、ここ3年というもの、新聞は見出ししか読んでいない。社会面の記事など、ほとんど目を通していないのではないだろうか。レショフスキーが、弁護士としてそんな大きな仕事を成し遂げていたとは知らなかった。あとで、誰かに確認してみよう。シャルロットはそう思った。
 それにしても、そんな有名人になったとは思えないほど彼は変わっていなかった。家族そろって買い物というのに、彼はちっとも幸せそうには見えなかった。あんなに賢い娘がいるのに、あんなに美しい奥様がいるのに、何が不満なのだろう?
 シャルロットは、ふと思いついたように訊ねた。「その女性の名前は、もしかしてバルバラというんじゃない?」
 タデウシはしばらく考えてから答えた。
「・・・そんな名前だったかもしれないな」そして、何度か頷いた。「そうか。娘さんと同じ名前だったから、ほうっておけなかったのかもな」
「彼は、昔から女性に優しい人だったのよ」シャルロットはそう言うと、窓の外に視線を移した。
 彼らは、車から降りるまで、あとは一言も話さなかった。
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