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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第98章

第1809回

「わたしは、どうしても成功したかった。今話したように、理由のひとつは妻との約束を守るためだったが、そのためだけなら、急いで成功への階段を駆け上る必要はなかったと思う。わたしが頂点を目指したのには、もう一つ理由があった」
 タデウシはそう言うと、シャルロットの方に視線を向け、その隣にいたルドヴィークを見つめた。
「妻を亡くした直後、わたしは天使と再会した。ほんとうは、そのひとは天使ではない人間の女性だったが、わたしは初めてかの女に会ったときから、かの女を天使だと思っていた。かの女がわたしの前に現れるとき、わたしはいつでも涙をこらえていた。そんなときに現れ、慰めの言葉をかけてくれるその女性を、わたしは天使だと思い込んだ。なぜならば、その女性は、わたしにとって決して手の届かない女性だと思い込んでいたからだ。ルーディに言われるまで、その女性がわたしを情熱的とも言えるまなざしで見つめてくれていることに全く気がつかなかった。そして、わたし自身も、同じようにかの女を見ていたことにも・・・」
 その言葉を聞くと、シャルロットは赤くなった。対角線上に座っていたギュンターはそれに気がついたが、表情に出さないようにしていた。ほかの人たちは、話をしているタデウシの方を見ていたから、シャルロットの表情の変化には気づかなかった。
「わたしは、あまりにも貧しくて、妻にいい思いをさせてやることができなかった。だが、その女性は、わたしたちよりもはるかに裕福なひとだった。わたしがどんなに貧しくても、かの女が財政的に苦しい思いをする必要はないはずだった。逆に、あのときのわたしがかの女に近づいたら、かの女の財産が目的だと勘ぐられても仕方がないくらい、わたしたちはあまりにも違う立場にいた。だから、わたしは成功しなければならなかった。誰の目から見ても、かの女にふさわしい男性になりたかった」
 シャルロットの表情が暗くなった。誰かを愛している一人の男性にとっては、切実な問題だったかもしれない。だが、彼のそんなプライドのために、たくさんの人たちが傷ついた。二人の人間が死んだ。二人の女の子たちが望まれずにこの世に生を受けた。もし、彼があのコンサートに出たい本当の理由をあのとき聞いていたら、かの女は彼のためには指一本動かさなかっただろう。急いでそのようなことをしなくても彼は必ず世に出られる人間だったし、この3年間、こんなにつらい思いをせずにすんだはずだ。
 シャルロットが沈み込んだ本当の理由を知らないタデウシは、優しい表情を崩さないままシャルロットの席に近づき、話をこう結んだ。
「・・・つらい思いをさせたよね。寂しい思いをしたよね。だけど、これから、一緒に幸せになろう、ね?」
 シャルロットは、差し出された手を取らなかった。両手に顔を埋めていたからだ。タデウシは、いすに座ったままのかの女の肩にぽんと手を置き、席に戻っていった。その間、その場のほぼ全員が心からの拍手を送った。そして、タデウシが自分の席に着くと、今の彼の言葉に対し、シャルロットがどんな返事をするか期待するように一斉にかの女の方を見た。
 それでも、シャルロットは泣き続けていた。その場に、しらけたような雰囲気が広がった。
 弦楽四重奏団の4人は、目配せをしたのち立ち上がった。今必要なのは、この場の雰囲気を変えることだと気がついたからだ。
 彼らが演奏した曲を聴いたシャルロットは、驚いて顔を上げた。
「・・・やはり、これを覚えていたのね?」リピンスカ夫人がシャルロットに声をかけた。
「ええ、でも・・・」この曲は、弦楽四重奏曲ではなかったはず。これは、オーケストラとピアノのために作られた音楽だ。
 ギュンターも懐かしそうにその音楽を聴いていた。それは、学生時代、リシャール=マティスがシャルロットのために作った曲だった。タイトルは<イスタール>。彼は、有名になってから、その曲を出版した。第一主題が決して親しみやすいメロディーではなかったにもかかわらず、印象的な中間部の主題が独立して知られるようになったため、その部分を中心にいろいろな編曲版が出回った。原曲に忠実に編曲しているものが少ない中で、この演奏は、かなり原曲に近い編曲だった。シャルロットは、世間から遠ざかるように暮らしてきたので、<イスタール>という音楽がポピュラー化して、皆が知っている<イスタール>が、原曲の中間部のみを指すのだということも知らなかった。
 有名なフレーズを耳にして、音楽とはほとんど縁のないモジェレフスキー夫妻の表情も緩んだ。
 彼らの間に穏やかな空気が流れ、シャルロットはこの場の女主人という立場を思い出し、彼らをもてなすことに専念した。
 やがて、客たちが部屋に戻りはじめた。
 シャルロットが居間の電気を消そうとしたとき、ドアの前に立っていたギュンターがシャルロットに声をかけた。「この人と、もう少し話がしたいんだが、場所を借りられるかな?」
 シャルロットは、ギュンターと一緒に立っていたのがタデウシだと気がついたが、黙って頷き、二人をその場に残して去って行った。ただ、近くにいた執事に、最後に戸締まりを確認するようにと指示だけは出した。
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