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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第100章

第1844回

「そして、わたしは、とんでもないことに気がついてしまった。前回の優勝者が、きみが幼い頃からあこがれていた<天使>だったということに。かの女の存在が、幼い頃のきみにどんな影響を与えていたのか、わたしはよく知っていた。きみは、かの女が載っていた新聞記事を、ずっと大切にしていたよね。その女の子の顔が判別つかないくらいになるまで、新聞を何度も何度も開いたり閉じたりしていたよね。だから、わたしには、新聞に載っていた女の子の顔がわからなかった。それでも、きみは何度も何度もかの女のことを話していた。コンクールが終わったとき、きみは話してくれたよね。グルノーブルで出会ったあの少女が、あの天使に間違いないと」マリアーンは話し出した。「当時わたしたちは知らなかったのだが、かの女は、前年のコンクールの優勝者本人だった。優勝しただけではなく、一番優秀な人に与えられる各賞をすべて独り占めしていた。翌年の出場者だったわたしたちは、かの女と比べられるという不利な条件の下で演奏を行わなければならなかった。当時は知らなかったけど、そのかの女は、同じステージにいた。オーケストラの一員としてヴァイオリンを弾いていたんだ。わたしは、優勝はしたが、各賞はすべて逃した。まあ、そのうち一つは、最年少の演奏者に与えられる賞だったから、わたしにはその権利はなかったけれど」
 シャルロットは小さく頷いた。もちろん、マリアーンはかの女の方を見てはいなかったが。
「コンクールが終わったあと、きみはこう言った。『きみが前回の優勝者を嫌いだと思うのなら、今後はわたしもかの女を嫌いになる。きみが実力以下の扱いを受けるのは、すべてその子が悪いからだ。その子とジョイント=コンサートをするんだって? 今度はわたしはついていかないよ。そんなモンスターには会いたいとは思わないし、一緒にいたとしても、きみを助けることはできない』」マリアーンはそう言った。「だから、きみは、グルノーブルにはついてこなかった。あのとき、わたしは一人きりだった」
 タデウシは下を向いた。唇が小刻みに震えていた。
「ところが、ジョイント=コンサートの相手の女の子は、コンクールの時に会った小さな天使だった。きみがずっとあこがれていたという女性にそっくりだったあの子だ」マリアーンが言った。「わたしは、その事実をきみに告げるべきか否か、悩んだ。だが、自分の中にいる悪魔のささやきに負けた。わたしは、きみと同じ女性を好きになってしまった。しかし、その女性の方はわたしのことなど何とも思っていない。だったら、それはわたしの心の中だけの秘密にしてしまおう。1934年に、かの女と一緒にコンサートを開くときに、きみにその秘密を告げようと思った。だが、かの女は亡くなり、約束は果たされなかった。だから、もう秘密を話してもいいと思ったんだ」
 シャルロットは震える声で口をはさんだ。
「いいえ、あなたは話すべきではなかった。もしも、あなたが本当に弟のことを愛していたのなら」
 マリアーンは、初めて、台所から戻ってきたシャルロットの方に視線を向けた。彼は、かの女が真っ青になって震えているのに気づいたが、その理由にまでは思い至らなかった。彼は、長い間胸の奥にしまっていたものをはき出した後で、その表情にはむしろすがすがしさを浮かんでいた。
「長い間秘密にしていたことを打ち明けたのは、タデーのことが心配だったからです」マリアーンは穏やかな口調で言った。「あなたは、彼のことを愛しているし、彼もあなたとなら理想的な家庭を築きあげることができるだろうと確信しています。ですが、あなたが彼を愛しているのと同じ程度には、彼はあなたを愛していない。わたしは、彼にちゃんと覚悟をさせたかったんです」
 シャルロットは驚いたような表情を浮かべ、その表情をさっと消した。
 ルドヴィークは、覚悟を決めたように口を開いた。
「マリアーン。わたしも一つだけ聞いておきたい。もし---かりに、その女性が生きていたとしたら、きみはどうするつもりなんだ? もし、その女性が、きみの目の前に現れて『わたしは、生きていたんです』と告白したら、きみは何と答える?」
 マリアーンは首をかしげた。彼はタデウシを見つめ、その視線をシャルロットに向けた。
「かの女は、もう生きていませんよ」マリアーンは肩をすくめた。「生きていて、一緒に演奏ができるのは、夢の中だけです」
「では、そんな夢を見たら?」ルドヴィークが重ねて訊ねた。
 マリアーンは首を振った。
「夢の中でなら、もう何度も確認した。かの女が、わたしの言葉を暗記してしまうくらい、何度もね」マリアーンの口調は優しかった。「『愛しています。わたしが愛しているのはあなただけだ。あなた以外の女性と結婚したいと思ったことは一度もないし、あなた以外の女性と結婚するくらいだったら、一生結婚はしません』・・・何度そう告白しても、夢の中でさえ、かの女は困った顔をするだけなんだが」
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