FC2ブログ

年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第102章

第1864回

 1933年1月。
 マリアーン=ブラッソンは、ポーランドにとどまり続けていた。1月末に、クリモヴィッチ=ファミリーによる合同演奏会に出演することに決まったのだが、どちらかというとコンサートそのものより、そのコンサートが終了した後、シャルロットとタデウシがステージの上で婚約発表をする場に居合わせたかったからだ。彼は、二人が復活祭の後で結婚式を挙げるまでポーランドを去らない、と公言していたのである。
 11月のあの事件の後、シャルロットは再び郊外の家に戻り、療養生活を続けていた。レントゲン撮影の結果、頭蓋骨のひびが確認され、医者が安静を命じたからだ。タデウシはそれをいいことに、婚約発表を延ばし続けていた。
 タデウシは、あの日以来、一人でずっと苦しんでいた。この世で一番好きな兄が、唯一愛した女性。その女性が誰であるか知ってしまったのに、その女性と結婚することは本当に正しいことなのだろうか・・・彼は悩み続けた。あのとき以来、マリアーンは満足に話しかけてこない。用事があるときに、必要なだけしか口をきかない。昔は、あんなに仲がよかったのに。昔は、何だって彼に相談してきたのに。あの日以来、彼は別人のようになってしまった。彼は怒っている。だが、どうして怒っているのかわからない。自分がシャルロットに積極的にアプローチしないからなのか、それとも、自分とシャルロットが別れることを望んでいるからなのか。
 自分のことではないが、二人のことで一番気をもんでいたのはルドヴィークだった。あの事件以来、シャルロットとタデウシが顔を合わせることさえなかったことを知ると、彼はとにかく二人を合わせなければならないと思い、クリスマスに皆を招くことにした。ただし、タデウシには、クリスマスに誰を招くかをあらかじめ知らせなかった。参加者の顔ぶれをあらかじめ知らせると、タデウシが招待を断るかもしれないとルドヴィークは考えたからだ。タデウシがそれほどまでに思い詰めているのを、ルドヴィークは気づいていたのだ。(一方、シャルロットの方は、その夜、タデウシがやってくるのは当然だと受け止めていた。)こうして、クリスマスの夜、<クリモヴィッチ=ファミリー>が集合したとき、みなの前で、ルドヴィークはタデウシに、いつまで結婚を延ばすつもりだと問い詰め、1月のコンサートの時に正式に婚約を発表するという確約を取り付けたのである。
 そうこうしているうちに、年が明け、コンサート---婚約発表予定日が近づいてきた。それでも、クリモヴィッチ家の人たちは、どこか上の空のまま練習に身が入らないようだった。いつもは軽口をたたくマレクさえ、何を話していいか考えてから話すような状態だった。
 年が明けてからは、コンサートのための練習は主にレーベンシュタイン家で行われた。一番広い家だったこともあるが、その家にはちいさなホールのようなものがあったからだ。もともとは小礼拝堂として17世紀頃に作られた建物だったが、先代のチャルトルィスキー公爵が、妻のナターリアと娘のシャルロットのためにホールとして改装した。祭壇があった場所にステージが置かれ、あまりたくさんではないが客席もある。礼拝堂だったため、天井が高く、音響もよかった。シャルロットが子どもの頃は、親しい人たちを招待して音楽会を催すこともあった。演奏するのは、もっぱらナターリア夫人とその友人たち---クラコヴィアクの指導者たちだった。シャルロットはちいさな子どもだったから、演奏会の前座としてしか出演機会はなかった。演奏会は、あくまでも大人たちのためのものだった。そのかわり、演奏会の翌日は、ナターリア夫人がシャルロットのために伴奏してくれて、二人は大好きな公爵のためにだけ演奏した。シャルロットにとっては懐かしい思い出の場所でもあった。
 その家に移り住んでから12年以上たつが、レーベンシュタイン夫妻は、今度のコンサート開催が決まるまでその建物に近づいたことは一度もなかった。建物は、現状を維持するためだけに整備されていたが、レーベンシュタイン夫妻はシャルロットに遠慮して、その建物で演奏しようとはしなかったのである。レーベンシュタイン家に居候していたマリアーンは、散歩中にその建物を発見し、主であるシャルロットに建物を借りる許可を取り付けた。こうして、その建物で久しぶりの演奏会が行われた。そこで演奏されたのが、1月に行われる予定の演奏会のプログラムだった。つまり、彼らはそこでリハーサルを行ったわけだ。観客は、シャルロットとルドヴィークだけだった。
 クリモヴィッチ家の人たちが集合したコンサートだったので、本来ならシャルロットの出番はないはずだった。しかし、ルドヴィークは、プログラムの最後(アンコールかもしれないが、詳しいことはまだ決めていなかった)に、タデウシとシャルロットに二重奏を演奏するように言い聞かせた。婚約発表した二人による演奏。それは、プログラムの最後にふさわしい演目に違いなかった。
 その話を聞いたカロル=ブレジンスキーは、二人のために3分ほどのヴァイオリン曲を作曲しようといいだした。その作品の完成を待って、プログラムはようやく印刷に回された。
 こうして、婚約発表のための準備が少しずつ進んでいた。にもかかわらず、当事者たちはいまだにふさぎ込んでいた。
関連記事
 関連カテゴリ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
もくじ  3kaku_s_L.png データベース
もくじ  3kaku_s_L.png 設定
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
  ↑記事冒頭へ  
*Edit
  ↑記事冒頭へ