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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第102章

第1873回

 シャルロットは、優しい表情を崩さなかった。「そうね、彼はいい人だったわ。きっと、あなたにはいい人なんでしょう。でも、人間は誰にでも優しいわけじゃないし、いい人だからという理由だけで好きになることもできないのよ」
 ジークフリートは混乱したような表情を浮かべた。そもそも、彼が口を開いたのは、自分の思いを伝えたかったからだ。かの女は自分を息子のように思っているようだが、彼はかの女を愛していた。母親と息子くらい年は離れているが、彼はかの女を母親のようにではなく、ひとりの女性として愛していた。彼は『いつか、わたしと結婚してください』と言いかけたのだが、彼を息子同様に思っているシャルロットは、『わたしと』ではなく『おじさまと』と言おうとしているのだと勘違いした。それはそれで仕方がない。だが、どうして<おじさまと>であっても、かの女はそこまで彼を嫌っているのだ? やはり・・・。
 ジークフリートは、すばやくそこまで頭を回転させ、一つの結論を出した。そうだ、それしか考えられない。
「それでは、あなたは、彼が嫌いなんですね。あの晩、彼が乱暴なことをしたからですか?」
 シャルロットは驚きの表情を隠せなかった。「あの晩?」
「ごめんなさい」ジークフリートはうわずった声で言った。「わたしは、あなたを助けることができなかった。あなたがあんなに助けを呼んでいたのに・・・あんなにいやがっていたのに・・・あのとき、わたしは身動きすることすらできなかった。わたしは・・・」
 そう言うと、彼はわっと泣き出し、体を投げ出してシャルロットの膝に顔を埋めた。
 シャルロットはぱっと赤くなった。彼は、ベルリンでの最後の晩のことを言っているのだ。彼は起きていて、自分とフリーデマンがベッドの上で行っていた一部始終を見ていたのだ。なんということだろう!
 あのとき、確かにジークフリートも同じベッドの上にいた。大きなベッドだったし、彼はぐっすり眠っているとばかり思っていた。それに、フリーデマンは『声を出すな』と言ったし、自分だって手の甲に歯形が残ったくらい声を押し殺していたはずなのに・・・。それなのに、彼は起きてしまったのだ。誰かに---とくにちいさな子どもには見られたくないのに---全部見られてしまっていたなんて・・・。どうしたらいいの? もう彼の顔を正面から見る勇気はない。走っている車の中でなかったら、飛び降りてしまいたいくらいだ。
 だが、今は、恥ずかしがっている場合ではない。問題は、彼の方だ。当時ほんの子どもだった彼は、フリーデマンが自分に対して暴力を振るったと勘違いしている。あのとき、フリーデマンに組み敷かれて、混乱のあまり『助けて』とか『やめて』という言葉を発したはずだ。フリーデマンには、やめる気などさらさらなかった。だから、フリーデマンはシャルロットの制止に従おうとはしなかった。どんなにいやだと訴えても、フリーデマンはやめてくれなかった。
 シャルロットはあの夜のことを、無理に思い出そうとした。最初は確かにいやだった。彼の腕の中で、それまでの人生ではまったく知らなかった世界を見た。彼との体力差はあった。どうやっても、彼の強い腕から逃れることはできなかったし、最初は確かに合意の上での行為ではなかった。それでも、一つだけ間違いない事実がある。彼は、かの女に対して、全く乱暴なことはしなかった。夫のヴィトールドとは違い、彼は最後までかの女を気遣ってくれた。
 しかし、幼いジークフリートには、フリーデマンがかの女に暴力を振るっているとしか見えなかったに違いない。かの女がフリーデマンに折檻されて、痛みのあまり苦しそうにうめいたり泣いたりしているようにしか見えなかったに違いない。その状況の意味を知らずに客観的な状況判断をすれば、いやがるかの女にフリーデマンが暴力を振るったのだと、ジークフリートが考えても無理はない。それでも、ジークフリートは、最低でも一度はかの女を助けようと思ったはずだ。だが、ちいさかった彼には、恐ろしさのあまり、フリーデマンを止めることができなかったのだ。たぶん震えながら一部始終を見ていた。おそらく、あのあと、彼はフリーデマンを、女性に暴力を振るう恐ろしい人間だと思ったに違いない。そして、あれからずっと彼は苦しんでいたのだ。
 今のジークフリートが、あの出来事を本当に理解できるようになったのかどうかはわからない。男女の間のことを説明するのに、自分がふさわしい立場なのかどうかもわからない。ただ言えるのは、誤解して苦しんでいる彼の心だけは解放してあげなければならないということだ。そして、将来、彼が心から愛する女性ができたとき、フリーデマンのことを思い出して、女性に対して臆病になってほしくない。逆に、その女性に乱暴な振る舞いをさせてはいけない。そんなことをしたら、彼だけではなく、相手の女性も苦しむことになってしまう。
 やはり、あの夜のことを、彼に説明しなければならない。詳しく話す必要はない。彼が理解できる範囲でかまわないと思う。
 だが、今、自分たちは二人きりではない。運転席には執事のユリアンスキーがいる。どうしよう?
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