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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第103章

第1888回

「だが、不思議な気分だ。何か、気分が高揚している」そう言って、マリアーンはほほえみを浮かべた。顔全体が笑っている。この笑みは本物だった。「わたしは、天使と約束したんだ。来年、二人でジョイント=コンサートをするのだとね。約束したのは、もう20年も前のことだったけど。あれから、いろいろなことがあった。戦争もあったし、かの女が亡くなったとも聞いた。そのたびに、約束は果たされないと思った。何度絶望したかわからない。昨日だって、事故の衝撃で気を失う寸前、わたしは天使に謝ったんだ。ごめん、約束は果たせない、って」
 タデウシは黙っていた。
「・・・ところが、目を覚ましたとき、枕元に天使がいてくれた。このまえ喧嘩して以来、わたしはかの女と二人きりになったことは一度もなかった。そうか、かの女は許してくれたんだ、わたしはそう思った。それから、わたしは、疲れて眠っているかの女の姿をずっと見ていた。よかった、自分は死ななかったんだ。約束はまだ有効なんだ、って」マリアーンは続けた。「だが、そうじゃなかったんだ。わたしの両腕は無事だ。わたしの両足もちゃんと体についている。でも、両腕はしびれているし、両足を動かすことはできない。もう二度とステージに立つことはできないかもしれない、とかの女も言った」
 シャルロットは下を向いた。どうして、こんな言葉を、こんなに穏やかな口調で話せるのだろう?
「右手がなくなったくらいで何だ」マリアーンは黙っているタデウシに言った。「先の大戦で、右腕を失ったピアニストがいた。作曲家たちは、彼のためにたくさんのピアノ曲を書いた。そうだ、左手だけでもピアノは続けられる。悲劇のピアニスト面なんてするな。きみは、わたしに比べれば、どんなに運がよかったかわかるか? きみには、左手と両足があるんだぞ。それだけではなく、きみのことを愛してくれる女性がついている。なのに、きみはかの女に一人でポーランドから出て行けと言ったんだってね」
 タデウシは頷いた。否定しても仕方がないことだったからだ。
「きみがいらないというのなら、わたしがかの女をもらってもいいだろうか?」
 その言葉を聞くと、タデウシの表情に初めて変化が現れた。驚いた顔をしていたが、その表情はすぐに消え、無表情に戻った。
「かの女は、わたしの婚約者でも何でもない。かの女さえよかったら・・・」
「よくないわ」シャルロットはぱっと立ち上がった。「わたしは、品物じゃないのよ。勝手にくれるだのいらないだのって、わたしの意思も確認しないで、二人で何をしているの?」
 マリアーンとタデウシは、シャルロットの剣幕に押されて、目をぱちくりさせたままかの女を見つめた。
 シャルロットは、枕元のいすに座っていたタデウシを見下ろした。「この場ではっきりさせましょう。あなたは、本当にわたしと結婚したくないのね?」
「ああ」タデウシは短く答えた。
「一つだけ正直に答えて。あなたがそういうのは、わたしをもう愛していないからなの?」
 タデウシの無表情が一瞬崩れた。シャルロットは、その一瞬を見逃さなかった。しかし、彼は答えなかった。
「・・・そう、それがあなたの答えなのね。わかったわ。婚約は正式に解消しましょう」シャルロットはそう言って、部屋から出ようとした。
「待って! 話は終わっていない」声をかけたのはマリアーンだった。「わたしに、まだ返事をしてくれていないよね?」
 シャルロットは立ち止まり、振り返った。
「あなたには、すでにお返事をしたわ。わたしは、決してあなたと結婚することはないと。あのときの言葉はまだ有効よ。わたしは、約束を守れない人を信じない、わたしが愛しているのはタデウシ=ボレスワフスキーだ、と言ったはず。まさか、忘れたということはないわよね?」シャルロットは無表情だった。「あのときとは状況が変わったかもしれない。でも、愛情のためではなく、同情心だけでそばにいたとしても、あなたにはわたしが必要かしら? わたしにはそうは思えない。あなたは、プライドが高い人だから。さようなら、マリアーン。わたしたちには、もはや来年は存在しないのよ」
 そう言うと、シャルロットは涙をこぼし、彼らに背を向けて去って行った。
 マリアーンは、点滴をしていない方の手を支えにして、上半身起き上がった。
「追え、タデック。今なら間に合う。追いかけて、かの女に『行かないでくれ』と言うんだ。そうしなかったら、きみは必ず後悔する。きみは、まだかの女を愛しているし、かの女もきみを愛している。さあ!」
 タデウシは、首を横に振り、眉を寄せて答えた。「だめだ」
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