シャルロットがタクシーから降りて門の前に立ったとき、閉じられた頑丈な門の前に立っていた若い男性は、シャルロットの姿を見て残念そうに声をかけた。
「求人案内を見ていらっしゃったんですね。残念ですが、もう決まってしまったんですよ」
屋敷で誰か雇う予定でもあったのだろう、門番は礼儀正しく頭を下げた。
シャルロットは、彼を見て「あら、そうじゃありません」と言いかけた。
そのとき、閉じられた門の建物側から女性の笑い声がした。
「そうじゃないでしょうとも。この女性は、どう見ても、わたしの相談相手を務めるには若すぎるわ」見知らぬ女性はそう言った。
シャルロットは、その女性をちらっと見た。年齢は50代前半くらいだろうか、帽子の下から金色の前髪がほんの少しのぞいている。カロル=ルジツキー氏にそっくりな、聡明そうな灰色の目が興味深そうにシャルロットを見ていた。ルジツキー氏の娘にしては年が上だが、ルジツキー氏に姉妹がいるという話は聞かない。このひとは、一体誰だろう、シャルロットがそう思ったとき、女性がほほえんでこう言った。
「・・・思い出したわ。あなたは、ナターリア=スクロヴァチェフスカじゃない? よくたずねて来てくれたわね」
門番は、驚いて女性の方を見た。もう一度シャルロットの方に視線を戻したとき、彼の顔には不審の色が見えた。
「お友達がみえたのよ。中に入れてあげてちょうだい」女性は門番に言った。「たしか、お友達を中に入れることは禁止されていないわよね? あなたは、わたしが外に出ないように見張っているんでしょう? わたしは外に出て行きはしないわ。だから、ねえ、お願い」
「・・・ですが、ナターリアさまは、すでにお亡くなりになったと・・・」門番は口ごもった。
「まさか」女性は明るく笑った。「では、あなたは、このかたを幽霊とでも?」
「ですが、カロルさまの許可がないのに、知らないひとを中に入れるのは・・・」
「このひとは、わたしのお友達です。それに、兄には、あとで言います。だから、お願い」
兄・・・? シャルロットは驚きを顔に出してしまったようだ。
「・・・違うわね」女性はシャルロットの表情を見て言った。「わかったわ。あなたは、ナターシャのお嬢さんね? たしか、ブローニャさん」
それを聞くと、門番の顔がぱっと輝いた。どうやら、この人は<クラコヴィアク>を知っている世代のようだ。
シャルロットが頷くと、門番はいそいそと門を開けた。
「ありがとう。でも、あなたは、わたしが幽霊だと思わないの?」シャルロットは門番に訊ねてみた。
門番はうっとりした表情で答えた。「たとえ幽霊でも、ブローニャさんが目の前にいるなんて・・・光栄です。あの、握手しても?」
シャルロットは、真っ赤になった彼の手をとって、握手してしまった。門番は、さらに赤くなり、感激のあまり目に涙をためてうつむいた。その表情を見て、シャルロットまで赤くなった。
そんな二人を見て、女性は言った。
「いつまでもこんなところにいないで、わたしの温室に行きましょう」
シャルロットは軽く頭を下げ、女性のあとについていった。門番は、二人の後ろ姿をぼうっと眺めているだけだった。
女性は、建物の裏にシャルロットを案内した。屋敷の中庭と思われる場所に、ガラス張りのかなり大きめな温室があった。中にはたくさんの種類のバラと、温室には場違いに見える大きなテーブルと椅子が8つ置かれていた。ルジツキー家の別荘には、バラが咲く温室があると言ったタクシーの運転手の話は本当だった。シャルロットは、あくまでも比喩だとばかり思い込んでいたのだ。
「わたしの隠れ家にようこそ」女性は、フランス語でそう言うと、シャルロットのために温室のドアを開けた。
シャルロットはお礼を言って中に入った。ドアを開けただけで、バラの香りが漂ってきた。
「ここは、わたしたち兄妹が生まれたところなの。カロルは、わたしのためにこの家全部を買ってくれたの。だから、本当は、ここは<ルジツキー家の別荘>ではないのよ」女性はそう言うと、シャルロットにいすを勧めた。「順番が逆になってしまったのだけど、自己紹介させてください。わたしの名前は、ヘレナ=ウェルヌヴナ 。カロルの母親違いの妹で、正式にはヘレナ=ウェルヌヴナ=ルジツカと申します。もっとも、屋敷の人たちは、わたしをヘレナ=ウェルノヴァ と呼びます。彼のいとこのウェルナー夫人ということになっているんですが、事情を知らない人は、わたしがカロルの愛人だと思っているはずです。そして、ここは、彼の愛人が住んでいる家なのだと。彼に妹がいるというのは、一部の人しか知らない秘密ですから」
「求人案内を見ていらっしゃったんですね。残念ですが、もう決まってしまったんですよ」
屋敷で誰か雇う予定でもあったのだろう、門番は礼儀正しく頭を下げた。
シャルロットは、彼を見て「あら、そうじゃありません」と言いかけた。
そのとき、閉じられた門の建物側から女性の笑い声がした。
「そうじゃないでしょうとも。この女性は、どう見ても、わたしの相談相手を務めるには若すぎるわ」見知らぬ女性はそう言った。
シャルロットは、その女性をちらっと見た。年齢は50代前半くらいだろうか、帽子の下から金色の前髪がほんの少しのぞいている。カロル=ルジツキー氏にそっくりな、聡明そうな灰色の目が興味深そうにシャルロットを見ていた。ルジツキー氏の娘にしては年が上だが、ルジツキー氏に姉妹がいるという話は聞かない。このひとは、一体誰だろう、シャルロットがそう思ったとき、女性がほほえんでこう言った。
「・・・思い出したわ。あなたは、ナターリア=スクロヴァチェフスカじゃない? よくたずねて来てくれたわね」
門番は、驚いて女性の方を見た。もう一度シャルロットの方に視線を戻したとき、彼の顔には不審の色が見えた。
「お友達がみえたのよ。中に入れてあげてちょうだい」女性は門番に言った。「たしか、お友達を中に入れることは禁止されていないわよね? あなたは、わたしが外に出ないように見張っているんでしょう? わたしは外に出て行きはしないわ。だから、ねえ、お願い」
「・・・ですが、ナターリアさまは、すでにお亡くなりになったと・・・」門番は口ごもった。
「まさか」女性は明るく笑った。「では、あなたは、このかたを幽霊とでも?」
「ですが、カロルさまの許可がないのに、知らないひとを中に入れるのは・・・」
「このひとは、わたしのお友達です。それに、兄には、あとで言います。だから、お願い」
兄・・・? シャルロットは驚きを顔に出してしまったようだ。
「・・・違うわね」女性はシャルロットの表情を見て言った。「わかったわ。あなたは、ナターシャのお嬢さんね? たしか、ブローニャさん」
それを聞くと、門番の顔がぱっと輝いた。どうやら、この人は<クラコヴィアク>を知っている世代のようだ。
シャルロットが頷くと、門番はいそいそと門を開けた。
「ありがとう。でも、あなたは、わたしが幽霊だと思わないの?」シャルロットは門番に訊ねてみた。
門番はうっとりした表情で答えた。「たとえ幽霊でも、ブローニャさんが目の前にいるなんて・・・光栄です。あの、握手しても?」
シャルロットは、真っ赤になった彼の手をとって、握手してしまった。門番は、さらに赤くなり、感激のあまり目に涙をためてうつむいた。その表情を見て、シャルロットまで赤くなった。
そんな二人を見て、女性は言った。
「いつまでもこんなところにいないで、わたしの温室に行きましょう」
シャルロットは軽く頭を下げ、女性のあとについていった。門番は、二人の後ろ姿をぼうっと眺めているだけだった。
女性は、建物の裏にシャルロットを案内した。屋敷の中庭と思われる場所に、ガラス張りのかなり大きめな温室があった。中にはたくさんの種類のバラと、温室には場違いに見える大きなテーブルと椅子が8つ置かれていた。ルジツキー家の別荘には、バラが咲く温室があると言ったタクシーの運転手の話は本当だった。シャルロットは、あくまでも比喩だとばかり思い込んでいたのだ。
「わたしの隠れ家にようこそ」女性は、フランス語でそう言うと、シャルロットのために温室のドアを開けた。
シャルロットはお礼を言って中に入った。ドアを開けただけで、バラの香りが漂ってきた。
「ここは、わたしたち兄妹が生まれたところなの。カロルは、わたしのためにこの家全部を買ってくれたの。だから、本当は、ここは<ルジツキー家の別荘>ではないのよ」女性はそう言うと、シャルロットにいすを勧めた。「順番が逆になってしまったのだけど、自己紹介させてください。わたしの名前は、ヘレナ=
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年代記 第二部

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年代記 第三部

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