年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第三部」
第105章

第1921回

「あの事件のあと、わたしは本当に深く心が傷つきました。心が病むほどではなかったけど。カロルは、わたしの心身状態は正常ではないと周りの人たちに言ったの。わたしも、そのお芝居に乗ることに決めたの。その方が、いろいろと面倒でないと思ったから。それで、屋敷の人たちは、今でもわたしが正気ではないと思っています」ウェルナー夫人が言った。「わたしは精神的に不安定だ、だから、決して表に出すな、と屋敷中の人たちはカロルに言われています。それで、わたしは、普段は、正気ではないお芝居をしているんです。噂に信憑性を持たせるために。わたしが狂っていないことを知っているのは、親戚の人たちだけです。カロルの命令で、正気ではない彼の従妹のために、これまで何人もの相談相手が雇われてきました。でも、わたしのお芝居があまりにも上手なので、話し相手に雇われたひとたちが長くここにいてくれないんです。今回決まった方も、いつまでここにいてくださるか・・・」
 そう言うと、ウェルナー夫人はふっとため息をついた。「・・・ここまで聞いて、わたしが正気かそうでないかの判断は、あなたにお任せします。わたしのことは、パニ=ウェルノヴァとお呼びになってね。で、あなたのことは? ブローニャと呼んだ方が良さそうね。そうすれば、周りの人はわたしが正気ではないと思うでしょうから」
「はい、奥さま」シャルロットはそう答えたあと、訊ねた。「では、わたしは、あなたにそう呼ばれるたびに、《困ったわ》という表情を浮かべてもよろしいですか?」
「あなたも協力してくださるのね?」ウェルナー夫人はそう言って笑った。「・・・さてっと。そろそろ、普段のわたしに戻らないと、怪しまれてしまいそうね。外に、わたしの新しい話し相手の女性が来ているわ」
 シャルロットは小さく頷いた。
「適当にあわせてね」そう言うと、ウェルナー夫人の顔つきが変わった。どこか、焦点が合わないような目つきでシャルロットから顔をそらし、「しゃべりすぎたわね」とつぶやいた。
 シャルロットは、目の前の女性が正気だと言うことを疑わなかった。だから、かの女はウェルナー夫人のお芝居に合わせようと思った。
「奥さま」ウェルナー夫人の話し相手の女性が声をかけた。年齢はウェルナー夫人くらいだろうか。なめらかなビロードを思わせるような声だ。声の質からすると、何らかの訓練を受けたことを思わせる。元女優か何かだったのだろうか、とシャルロットは思った。
「パニ=レヴァンドフスカ」ウェルナー夫人は女性に声をかけた。「ちょうどいいところに来てくれたわね。この女性は、ブローニャ=スタニスワフスカ。わたしの、というより、カロレックのお友達」
 その言葉を聞いて、レヴァンドフスカ夫人と声をかけられた女性は驚き、シャルロットの方は驚いたふりをした。
「奥さま、わたしは、ブローニャでは---」シャルロットは慌ててそう言いかけた。
「そして、こちらは、最近お友達になったレヴァンドフスカ夫人。お名前は・・・あら、ごめんなさいね。レヴァンドフスカ夫人と呼んでくださいと言われていたので、ちょっと・・・」夫人が口を開きかけたが、ウェルナー夫人は続けた。「そうそう、マリアさん。でも、レヴァンドフスカ(ラヴェンダー)夫人、のほうが、このひとらしいでしょう?」
「ええ、本当にラヴェンダーのようなかたですね」シャルロットはそう言いながら、レヴァンドフスカ夫人に握手するために手を差し出した。「クリスティアーナ=コヴァルスカです。奥さまには、先ほどからそう申し上げているのですが・・・」
 レヴァンドフスカ夫人は、ほっとしたような表情を浮かべ、シャルロットがさしだした手を取った。「マリア=レヴァンドフスカと申します」
 そのとき、かの女たちの上の方から男性の声が降ってきた。
「わたしには、ブロニスワヴァ=スタニスワフスカという友人はいない」
 女性たち全員が驚いて声の主の方を見た。そこには、当主のカロル=ルジツキーが立っていた。彼は、あきらかに仕事の途中で会社を抜け出してきたという服装をしていた。
「ご冗談を」口を開いたのはウェルナー夫人だった。
「それとも、この女性は、本当に・・・?」ルジツキー氏の目は笑っていなかった。
「本当に決まっているでしょう。あなたの恋人なんだから、今さらとぼけないで。このところ、あなたには女性の噂がなかったから、ほっとしていたのに。いつの間に、こんな恋人を、わたしに内緒で・・・。かの女は、あなたに会社では話せない用事でここに来たそうよ。別れ話らしいわ。別れの手紙ではなく、辞表を持ってきたんですって。あなたのお気に入りだけあって、面白い方ね」
 ルジツキー氏は眉を寄せ、考え込むような表情で全員を見た。
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