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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第1章

第20回

 クラリスは、自分の進学先にあえてスイスのヴィルフォール音楽院を選んだ。
 フランスから離れたところで、自分を取り巻いていた環境を冷静に見てみたかったのである。
 そこは、レマン湖のほとりにある静かな環境の全寮制の学校であった。22歳まで、という年齢制限があり、卒業後はより高等な音楽院に進む生徒が多かった。たとえばフランス人だと、パリ音楽院といった学校に進学するためのステップとしてとらえられる学校の一つであった。クラリスがそこに進学したのは1889年の秋のことで、かの女は14歳だった。
 入学したときにすでに「交響曲」のような作品を書いていたにもかかわらず、クラリスは和声法や対位法といった基礎的なクラスからスタートすることになっていた。そういった基礎は、メランベルジェやルブランからみっちりしこまれてはいて、その気になれば教授たちをうならせるような学習フーガを作ることができるくせに、クラリスは逆に教授たちを手こずらせる存在になりつつあった。
 クラリスは、一つだけ大きな計算違いをしていたのである。
 ヴィルフォール音楽院の教授たちのほとんどは、パリ音楽院の出身であった。そして、そのほとんどがメランベルジェと反対の(「フランス人らしい音楽を!」あるいは、ワーグナー風の音楽に心酔するような)考え方の人間たちだった、ということだったのである。そんななかで、クラリスは、かなり苦しい学生生活を送ることになるのである。
 そのかの女を救ったのは、同期入学の3人のピアニストの卵たちであった。
 一人は、寮でも同室のリディア=ロランである。かの女はクラリスと同じ1875年生まれであった。(学生寮は、入寮して2年は相部屋で、3年目以降は、希望すれば個室となっていた。)残り二人は、クラリスより3つ下の1878年生まれの隣の部屋の住人で、アレクサンドリーヌ=ド=ティエ=ゴーロワとナターリア=スクロヴァチェフスカといった。この二人の女性は、クラリスの今後の人生に大きくかかわりを持つことになるのである。
 さて、二人の子どもたちを手放してしまった後、フランソワーズ=ド=ラヴェルダンの人生には、さらなる別離が待っていたのである。それが、師メランベルジェとの永遠の別れであった。
 メランベルジェがぜんそくの発作を起こしたときには、誰もそれが大変なことだとは思っていなかった。彼が発作を起こすのは、珍しいことではなかったのである。しかし、高い熱を出すまで肺炎に気づく人はほとんどいなかったのであった。
 彼が亡くなる前の日、フランソワーズとエドゥワール=ロジェはメランベルジェ家にいた。メランベルジェ自身は高熱でうなされていたので面会はできなかった。メランベルジェ夫人と話をして帰宅したのだが、その夜、二人はもう一度呼び出された。ベルナール=ルブランや、ほかのおもだった弟子たちも集まっていた。メランベルジェ夫妻には子どもがいなかったので、彼らが子どものかわりであった。
 1890年1月8日の明け方、メランベルジェはこの世を去った。
 フランソワーズは、今度こそ一人きりになってしまった、と思った。
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