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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第12章

第219回

 子どもを出産してから、しばらくの間クラリスの体調は元に戻らなかった。
 そのため、ステファーヌには乳母がつけられることになった。
 ベッドから起きあがることができるようになってからも、クラリスはあまり子どもと近づきたがらなかった。かの女は、自分の子どもが好きになれないのはどうしてなのだろうか、と思った。弟のルイ=フィリップからは、かの女の母親は、それはそれは娘をかわいがっていたものだ・・・という話を聞かされていて、母親というものは子どもを愛するものだと思いこんでいたので、自分が心から子どもを愛することができないことに、罪悪感めいたものさえ感じていたのである。
 その感情に、エマニュエルも気づくようになった。彼もまた、母親から引き離されて育った子どもである。クラリスとステファーヌを見ているうちに、自分が母親に<捨てられた>過去を思い出し、苦々しく思い始めていた。その気持ちは、ついに、別な方へと向いてしまう。
<クラリスは、自分と結婚したことを後悔している。だから、子どもがかわいくないのだ>彼は、ついにそう考えるようになっていったのである。
 クラリスの育児ノイローゼは、二人の間に小さな亀裂をもたらし始めていた。
 エマニュエルは、念願だった<自分のオーケストラ>を持つ計画に取りかかり始めた。シェルブールに住む彼の養父の友人で、リセの音楽教師であるエティエンヌ=マレーが、自分の元教え子を集めて室内オーケストラ規模のものが作れそうだ、と言ってきた。エマニュエルはエティエンヌに会い、その計画を進めることにしたのであった。こうして、エマニュエルは、学校が休みのときにはシェルブールへ出かけるようになっていた。
 そんななか、クラリスは再び作曲を始めた。
 かの女が結婚後最初に書いた作品は、やはりピアノコンチェルトであった。ついで、イ長調のピアノソナタ、ピアノのためのファンタジーと立て続けにピアノのための音楽を作った。
 中でも、イ長調のピアノソナタは、初演前に出版した珍しい作品である。
 そのソナタが、彼らの運命を変える一つのきっかけとなった。
 作品出版後まもなく、出版社から手紙が来た。作品を、ロベール=フランショーム氏が初演したいと言ってきているが、どうしたらいいか・・・という内容であった。
 その手紙を読んで、クラリスとエマニュエルは考え込んでしまったのである。
「・・・止める権利は、わたしたちにはないだろう?」エマニュエルが一言言った。
 その通りだった。彼が演奏することを止めることはできない。やめさせるだけの理由は、彼らにはなかった。
 クラリスは、一つだけ条件を付けた。
 自分たち夫婦は、そのコンサートには行かない、というものであった。
 クラリスは、ロベール=フランショームに会いたくなかった。彼が演奏するのを聞きたくはなかった。彼が演奏することを止めることはできないが、聞きに行かないということで、ほんのわずかな抵抗をみせたのである。
 ロベールは、出版社からその返事を聞き、クラリスの意図を読みとった。かの女は、本当は、自分に演奏して欲しくなかったのだ、ということを、彼ははっきり認識した。しかし、彼は、どうしてもその曲を演奏したかった。
 なぜならば、その曲のメッセージを、彼は正確に読みとっていたからである。
 ピアノソナタは、彼に向けて書かれたかの女からの近況報告だった。彼は、単にそれを読んでくれれば良かったのであって、それをみんなの前で朗読する必要はなかったのである。しかし、彼は、みんなの前で手紙を読みたかった。そして、その返事を大きな声で叫びたかったのである。
『クラリス、わたしは、あなたをあきらめてはいません!』と。
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