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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第12章

第224回

 ロベール=フランショームがクラリスたちの生活に入り込んでくるのとほぼ平行して、エマニュエルのオーケストラへの傾倒が進んでいた。いつのまにか、エマニュエルは、土曜日に出かけて日曜日に帰る・・・というようになっていた。クラリスは知らないふりをしていたが、エマニュエルがシェルブールのかの女と仲良くなっていることは確かなように思われた。
 しかし、それでも、クラリスは自分が嫉妬していないことに驚いていた。
 かの女の気持ちは、今、どこにもなかった。
 夫の方にも、息子の方にも、ロベールの方にもなかった。そして、音楽にも。
 かの女は、珍しく、心の中が空白だった。
 ペンを握っても、メロディーが思い浮かばない。今までの人生で、こんなスランプは初めてのことであった。かの女は、自分の心の中だけを見つめていた。
 ある日、クラリスは、エドゥワール=ロジェの夢を見た。
 そこは、真っ暗なステージの上であった。ロジェは、手にろうそくを持っていた。彼のまわりの一部だけが明るかった。
『・・・おぼえているかい、クラリス?』彼が訊ねた。
『・・・なにを?』クラリスが訊ねかえした。
『メランベルジェが、きみに何を言ったかを』
『・・・何と言ったかしら?』クラリスは首をかしげた。
 ロジェは、悲しそうにほほえんだ。『よく考えて曲を書きなさい。きみが曲を支配するのであって、曲がきみを支配するのじゃない・・・彼はそう言ったよね?』
 クラリスはうなだれた。そう、それはメランベルジェの口癖のようなものだった。
『大切なのは、いくつ作品を書くかじゃない。どんな作品を書くかだ。たとえ一つでもいい、人の心を動かすだけの曲が作れたら、それだけで十分なんじゃないのかな?』
 クラリスはロジェに言った。『それじゃ、あなたは、一番大切なものは何だと思いますか?』
『愛だよ』ロジェは即答した。
 しかし、そこに立っていたのは、ロジェではなく、ロベール=フランショームだった。
『わたしの夢は、幸せになることです。そして、誰かを幸せにすることです』彼が言った。『たった一つでいいから、誰かを幸せにする曲を書かなくては、クラリス』
 クラリスは、目を覚ました。
 かの女は、自分が泣いていることに気がついた。
 かの女は起きあがると、書斎に向かった。そして、手当たり次第、自分が書いた楽譜を火の入った暖炉に放り投げた。涙が止まらなかった。かの女は、メランベルジェが言いたかったことが初めてわかったような気がした。自分の作品で、たった一つでも、誰かを幸せにするような・・・誰かの心を動かすだけの曲が存在するだろうか? これまでの人生を、無駄に過ごしてきたのではないだろうか?
 部屋にある楽譜を全部暖炉の中に投げ込んだ後、クラリスはピアノに向かい、目を閉じた。
 指が勝手に動き出した。
 その曲は、あのときの「悲しき歌」であった。
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