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年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第1章

第24回

 いわゆる「メランベルジスト」と呼ばれる人たちの中心は、ベルナール=ルブランであった。
 彼は<セザール=メランベルジェ校>と名付けた自分の音楽学校で作曲と理論を教えた。彼が優れた教師であることが次第にわかってくると、セザール=メランベルジェ校は有名になった。ベルナール=ルブランは、確かにメランベルジェの後継者の一人だった。メランベルジェを尊敬し、その名前を広め、その評価を高めようとする努力を惜しまなかったという点では、ルブランほどすばらしい後継者はいなかった。
 しかし、「反メランベルジスト」と呼ばれる人たちが言うとおり、ルブランはメランベルジェの忠実な後継者ではなかった。ルブラン自身それを自覚していたし、それを断言している。それにもかかわらず、ルブランとその弟子たちは「メランベルジスト」と呼ばれ、ロジェのグループは自ら「反メランベルジスト」を名乗った。
 ベルナール=ルブランの本当のねらいは、ドイツ風の厳格さを持つ音楽をフランスで育てることだった。そして、そのために和声法とフーガに力を入れて教育したのである。このやりかたは、師のメランベルジェのやり方そのものであった。それが彼らが「メランベルジスト」と呼ばれる理由の一つなのだが、ルブランとメランベルジェのやりかたは、形は同じでも内容に違いがあった。その内容がルブランとメランベルジェ校を有名にしたのだったが、その内容も知らずに彼らを中傷する人たちがいた。
 ルブランは、メランベルジェ校で10人のクラスで作曲法を教えていた。一口に作曲法と言っても、ルブランの作曲法は、哲学、数学、天文学、文学その他いろいろな内容のテキストを使って、総合的な学問となっていた。彼は、古典語(ギリシャ語、ラテン語)で書かれたテキストでプラトンやアリストテレスの講義をし、必要があればピタゴラスの数学についても話した。メランベルジェの弟子の中で、彼ほどの知識の持ち主はいなかった。その知識を生かすことに、彼は見事に成功した。昔から「暴君ネロ」というあだ名があったベルナール=ルブランであるが、メランベルジェ校での彼のあだ名もネロであったが、そのあだ名が口にされるとき、尊敬が混じるようになっていたのである。
「反メランベルジスト」の代表エドゥワール=ロジェは、ルブランとはまったく違う生き方を選んだ。彼は、<地獄のオルフェ>というカフェに入り浸り、そこで彼の後輩たちとちいさなサークルを作り、芸術を語り合ったのである。そのサークルは、メランベルジェの弟子たちのみならず、メランベルジェに好意を持っていなかった作曲家たち、その友人の詩人や画家たちまでが参加するものである。そこで、ロジェは、友人の詩に曲をつけたり、絵を見ながら即興演奏をしたり・・・という生活を続けていた。彼が変わったのは、そのサークルからフランソワーズ=ド=ラヴェルダンが去った頃からである。メンバーの顔ぶれが大きく様変わりし、彼自身、酒量が増えた。晩年の彼は、作曲家、というよりは、若い作曲家の精神的な支えとして存在していた。いいかえれば、彼は作曲家ではなく、偶像的な存在となっていたのである。
 エドゥワール=ロジェは、1896年初めにはすでにアルコール中毒気味であった。2月のある晩、彼はカフェで酒を飲んだ後、帰りがけにセーヌ川に落ちておぼれ死んだ。45歳であった。
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