FC2ブログ

年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第1章

第27回

 エドゥワール=ロジェの死後、彼のグループは分裂した。ある者はメランベルジェに戻り、またある者はロジェが最後に歩いていた道をそのまま受け継いでグループを継承した。
 どの道をも選ばなかった人たちが、フランソワーズ=ド=ラヴェルダンのもとにかけつけた。かの女のグループ「フォルス」は、当時の流行とは無関係に活動することを選んだ。彼らも、ベルナール=ルブランと同じような道を選択した。ただし、ルブランとメランベルジェ校がルブラン色だったのとは対照的に、彼らのグループはメランベルジェの音楽を継承していたのである。
 セザール=メランベルジェは、一オルガニストとして一生を終えた。少なくても、同世代の人間は、オルガニストとしての彼に賛辞を送り、音楽院のオルガン科の教師としての名誉を与えたが、彼らにとってメランベルジェは、それ以上でもそれ以下でもない存在であった。
 しかし、彼の弟子と言われる作曲家のほとんどが、オルガン科の生徒たちではなく、退職した後の作曲家としてのメランベルジェを慕って集まってきた生徒たちだったこと、作曲家としてのメランベルジェの作品のほとんどが退職後のものだったことで、メランベルジェの弟子たちは作曲家としての彼を、ほとんど偶像の位置まで引き上げてしまった。特にベルナール=ルブランたちは、師の死後、彼を過大評価しすぎたのである。その反動か、メランベルジェは世紀末には人々から忘れ去られてしまった。彼の名前は、ルブランの学校(セザール=メランベルジェ校)の名前としてのみ記憶されるものとなっていたのである。
 メランベルジェが正当な評価をされるようになるのはさらに10年後、1910年代に入ってからのことである。それまでの約15年間、メランベルジェとその弟子たちは歴史から忘れられた存在であった。彼の再評価につながる動きは、ルブランの弟子たちからではなく、フランソワーズ=ド=ラヴェルダンたち6人の教師たち、そしてその弟子たち「レ=フォルス」からスタートしていくのである。
 メランベルジェには、すぐれた弟子たちがいた。ベルナール=ルブラン、エドゥワール=ロジェ、フランソワーズ=ド=ラヴェルダン、オーギュスト=ベロー、クリスティアン=ベロー、ラウール=ペリ、オリヴィエ=ラントー、シモーヌ=アラン=ヴァランタン、レイモン=キュヴィエ、エリザベート=ド=バーン・・・その数は100人は下らない。しかし、彼らのほとんどは、作曲家としてよりは名教師として活躍した。彼らの師が数多くの作品を残しながら、一番の作品は弟子たちであった・・・と評価されるのと同様である。(しかし、弟子たちは教師としての彼より、作曲家としての彼を評価していた。)
 メランベルジェの弟子たちで、ルブランからもロジェからもフォルス6人組からも独立した位置に立ち、彼らがまず教師(あるいはグループのリーダー)だったのとは対照的に、まず作曲家であろうとした人が一人だけ存在した。
 セザール=メランベルジェの最年少の弟子だったクラリス=ド=ヴェルモンである。
関連記事
 関連カテゴリ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
もくじ  3kaku_s_L.png データベース
もくじ  3kaku_s_L.png 設定
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
  ↑記事冒頭へ  
*Edit
  ↑記事冒頭へ