FC2ブログ

年代記 ~ブログ小説~ 

「年代記  第一部」
第16章

第285回

 葬式の前の晩、エマニュエル=サンフルーリィは、クラリスの友人たちを家に呼んだ。
 彼は、一人きりになりたくないと思っていた。誰かが一緒だと、少しはこの悲しみを忘れられるのではないか・・・そう思っていた。しかし、その場の誰もが、自分と同じように悲しんでいるのを見て、彼は自分の考えが幻想に過ぎなかったことに気づいた。
 オーギュスティーヌ=ド=マルティーヌは、クラリスの足下にひざまずいたまま身動きひとつせずに静かに泣いていた。かの女は、大人たちの都合で、長い間クラリスから引き離されていた。もう誰にも邪魔はさせない。最後まで・・・クラリスとの別れの瞬間まで、ここを動くものか! かの女はそう決意していたのである。
 逆に、シャルロットは、クラリスと顔を合わせようとはしなかった。かの女は、黙ったままピアノを見つめていた。クラリスが死んだことを絶対に認めない・・・クラリスが死ぬはずがない・・・シャルロットの顔にはそう書かれているかのようであった。その横には、ドクトゥール=ド=ラ=ブリュショルリーがぴったりと体を寄せて座っていた。そうすることで、少しでもシャルロットを慰めようとしているかのようだったが、実のところ、そうすることで自分が慰めを得ようとしていたのである。
 エマニュエルは、その情景を複雑な思いで見つめていた。本当は、シャルロットの隣に座っているのは、この自分だったはずだ・・・。いったい、どうしてこんなことになってしまったのだ・・・?
 その原因を作った男は、ピアノの前に座っていた。ピアノのふたは閉まっていた。彼はそこに肘をつき、涙をこらえて頭を抱えていた。
 クラリスは、ユーフラジーが自分とかの女の娘だと言い残した。人間は、死ぬ間際には嘘をつかないという。恐らく、それは本当のことなのだろう。しかし、かつて、彼はクラリスに何度そう言われても、それを信じなかった。そればかりではなく、自分の子どもを身ごもっていたかの女を家から追い出したのである。かの女は、一人きりで子どもを産んだ。そして、ほんの数週間後、その子どもを失い、一人きりで子どもの葬式を出した。彼は、兄のゴーティエから《お願いだから、クラリスを助けてやってくれ!》という手紙をもらい、いてもたってもいられなくなり、グルノーブルへ向かったのである。
 エマニュエルは、この場にゴーティエがいてくれたら・・・と思っていた。ゴーティエは、明日の朝到着する列車でやってくる。葬式に間に合うように・・・。彼に会ったら、いいたいことがたくさんある。あの手紙のお礼もまだ言っていない。二人で、クラリスの思い出話がしたい。心からお詫びが言いたい・・・。
 ロベール=フランショームは、急に顔を上げた。彼は、フランス語で話し出した。
「・・・いつか、きみは、あの曲を弾きながら泣いていた。わたしは、自分がピアニストであることが恥ずかしいと思った。あのとききみが弾いたように、わたしが演奏できたことなんか、一度もなかった・・・」ロベールは、まるで目の前にクラリスがいるかのように話した。「わたしは、きみに会う前から、きみを知っていた。きみの歩んできた歴史と、きみの精神を、わたしはずっと知っていた。わたしは、きみの魂とずっと歩んできたんだ・・・」
 エマニュエルは、はっとしてロベールを見つめた。彼は、その言葉を覚えていた。彼がその言葉を言った直後、起こった出来事も、すべて。
「あのとききみは、『精一杯生きてきたわ。でも、それだけのことだわ。わたしは、幸せじゃない。誰かを幸せにしていない』と言ったよね。わたしはそうは思わない」ロベールは続けた。「きみは、自分が幸せじゃないと思っていたけど、きみは不幸じゃなかった。きみには、いつでも彼がいた。それでも、きみは、自分が不幸だったなんて思っているの?」
 エマニュエルの目から涙がこぼれ落ちた。
「『自分の作品で、たった一つでも、誰かを幸せにするような・・・誰かの心を動かすだけの曲が存在するのかしら? 自分は、これまでの人生を、無駄に過ごしてきたのではないかしら・・・?』きみはそう言ったよね?」ロベールは優しい口調で言った。「わたしの答えは、こうです。『あなたは、みんなを幸せにしました。あなたの人生は、決して無駄じゃありません』」
 そう言うと、彼はピアノのふたを開けた。そして、こう言った。「わたしは、これまでの人生が、悲しくてつらいものだと思っていた。しかし、そうではなかった。わたしは、これまで幸せだった。きみがいてくれたからだ。きみが永遠に去ってしまってから、わたしはそれに気がついた・・・そう、わたしの人生は、いつもそうだった・・・」
 彼は<悲しき歌>を弾き始めた。この曲がこんなに悲しそうに響いたのは、これが初めてだったろう。いや、こんなに悲しそうな人間は、世界中探してもどこにもいないくらいであった。
 エマニュエルは、曲が終わるとロベールの手を取った。
「・・・きみは立派なピアニストだ。自分を恥じることはない。クラリスは、きっとそう言うだろう・・・」エマニュエルがささやいた。「クラリスは、幸せだったんだよ、ロビン。きみがいてくれたから・・・」
 ロベールは、うなだれた。エマニュエルは彼の肩を抱いた。
関連記事
 関連カテゴリ一覧 ▼ 
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第一部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第二部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記  第三部
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 SIDE-B
総もくじ 3kaku_s_L.png 年代記 外伝
もくじ  3kaku_s_L.png データベース
もくじ  3kaku_s_L.png 設定
総もくじ 3kaku_s_L.png 更新
もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
総もくじ 3kaku_s_L.png 日記
  ↑記事冒頭へ  
*Edit
  ↑記事冒頭へ